「犬の話題」再録

 多和田葉子原作を舞台化した『犬婿入り』と、室生犀星の現代詩「犬のうた」(『動物詩集』所収)についてまとめたかつてのHP記事(2008年5/7記)を再録しておきたい。

◆わが家では、庭の鳥小屋で永く飼っていたタイガーチェリーの小桜インコがいなくなってから、ペット動物は飼っていない.

 犬を愛する人は多いようだ.昨年亡くなった思索家の池田晶子さん、かつての江藤淳さん、それに女優・歌手の小川範子さん(愛犬名・ドロ)など、犬を語ることばには特別の思い入れを感じる.

 4/18(金)のマチネー公演で、多和田葉子の小説『犬婿入り』を舞台化した演劇を、両国シアターXにて鑑賞した.京都旅行の直後で、とにかく睡魔を押えるのにやや苦労した.芝居そのものはけっこう面白いのだが、からだがついていけないといったところだった。帰路JR津田沼駅前に当日オープンしたばかりの「LABIヤマダ電機」に直行し、2GのUSBメモリーなど物色購入しているうちに、公演パンフレットを紛失し、キャスティングなど細かいデータがわからない。未読であった原作本(講談社文庫)は、amazonで取り寄せ読了.忠実に演劇化していたことが知れた.というより、朗読劇と言ってもよいほど、原作の文章が声に出されていた.

 テレビのワイドショー番組で、この小説の存在を前提にして、犬が婿入りしたらしいキタムラ塾の北村みつこ失踪事件の真相を探ろうという設定で、劇が展開する.スカトロジカルな事物および身体の器官をやわらかくかつ即物的に表現して、徹底的にエクリチュールの面白さと読む快感で成立しているこの作品を劇化すること自体が、無謀な企てになりかねない。演出は、前に同じシアターXで、現代都市の地下鉄構内を舞台として驚かせた、ヨッシ・ヴィーラー演出の『四谷怪談』で、美術・衣裳を担当した渡邉和子(ドイツ在住)。ビジュアルに見せる仕掛けに工夫がある.原作にさらにとぼけた感じが醸し出されたようだ.

四谷怪談』にも出演したともさと衣がコメディエンヌ(comedienne)としての可能性・才能の片鱗をも示して、最前列で魅了された.

 いったいに、犬や狐やその他の動物と結婚するという、「異類婚姻譚(いるいこんいんたん)」の演劇は『夕鶴』など日本でおなじみだが、ギリシア悲劇の『メディア』も似たようなものだろう.オウディウスの『転身物語』(人文書院)では、人間を食卓に供したリュカイオンが、雷神ユピテル(ゼウス)によって、狼に変えられてしまう話がある.

 横井清の『現代に生きる中世』(西田書店)によれば、近世史の塚本学の説を紹介して、「江戸時代なかばころまで、日本人は犬の肉を食しなれていた」そうである。これは差別史の問題とかかわることであろう.

 動物と人間が人間の言葉で交流するという幻想的な設定では、室生犀星の『蜜のあはれ』が文学史上の白眉であろう.犀星にはまた『動物詩集』がある。スキャンしたものは、ほるぷ出版の1978年復刻のもので、画はかの恩地孝四郎によるものである。そのなかに「犬のうた」がある.

 あんまり犬は人になれてしまって

 もうだらしのないどうぶつになってしまった。

 いつも

 のらのらと用もないのに

 道ばたでおしっこばかりしてあるく、

 おしっこがきっと東西南北を

 知らせてくれるのでせう。

 けれども

 月夜のばんに白い犬を見るのは

 美しいものですね、

 月からころがりおちたうさぎのやうだ。