片山杜秀慶應大学准教授の『未完のファシズム』(新潮選書)ようやく読了。酷暑のなか、何冊かの書物を併行して読むので時間がかかってしまった。第一次世界大戦においては、日本は限定された局所戦で勝利を収めることができたが、来るべき「持てる国」欧米諸国との戦争は、科学力・工業力・経済力が備わっていなければとても勝ち目はない。留学経験も豊富な日本陸軍のリーダーたちの認識であった。この課題に対し、国家としてのどういう方策を採るべきか、その答えの出し方をめぐって代表的な軍人および思想家を個別に扱っている。いままでの日本陸軍軍人についての固定したイメージが壊されてしまった。
「持たざる国」が急には「持てる国」にはなれない。しかし日本が「持てる国」になって国家総動員の体制がつくれなければ、次の総力戦には勝てない。「軍人たちがくりかえし直面してきたジレンマでした」。
……そこで荒木貞夫や小畑敏四郎のような「皇道派」の軍人は、劣った物質力を強烈な精神力で多少なりとも補って、それでやっと日本の勝てそうな相手とだけ、なるべく短期で決着する戦争をすればいい、それ以外は負けるからやれないと、思い詰めてゆきました。対して石原莞爾は、国家何十年かの計で日満経済ブロックか何かに閉じこもり、どんなに挑発されようが大戦争には踏み込まず「持てる国」になるまで待って、そこで初めて石原の考える最大の仮想敵国、アメリカに挑戦するという、遠大な計画を抱きました。……(同書p.250)
「攻撃精神」や「生きて虜囚の辱を受けず」との『戦陣訓』の草案起草者の一人と目される、中柴末純予備役少将における戦争哲学とは、
……少なくとも皇国日本の行う戦争とは、「まこと」の不断の実現のための行為であって、勝ち負けの予測を合理的に計算してやるかやらないかを決める、何らかの駆け引きに基づく戦争観とは無縁と考えるのです。「まごころ」の戦争とは、やるとなったら絶対にやる、勝ち負けに関係なくやる、勝敗よりも「まこと」に殉じるか殉じないかという倫理的・精神的な側面だけが問題となる戦争なのです。……(同書p.275)
このような戦争哲学に基づく『戦陣訓』が日米戦争時代の死生観に決定的影響を及ぼし、「玉砕」や「神風」の背中を押したのであった。
「持たざる国」日本は「持てる国」との戦争は避けるべきで、どうしても戦争となったらなるべく短期で終わらせ早期講和に持ち込む以外に戦争のやりようはないと喝破していた、陸軍士官学校、陸軍大学校をともに優等恩賜(成績最優秀)で卒業し、フランス語に堪能で外国駐在経験豊富な酒井鎬次関東軍旅団長のような開明派軍人もいたのだが、主流とはならなかったのである。
- 作者: 片山杜秀
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/05/01
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