1930年代の半グレ=浅草紅團

 http://www.youtube.com/watch?v=duZrgPATt94
 2/25(月)に、東京両国シアターΧ(カイ)にて、劇団「ドガドガプラス」のマチネー公演、望月六郎演出『浅草紅團』を観劇。初めて観る劇団であるが、「歌って踊れる浅草の劇団」だそうである。田原町には〈老舗〉の「演劇集団円」がある。HPによれば、「先人たちがつくった浅草レビューの世界感(世界観?)を踏み台」にして、現代演劇界に新風を巻き起こしたい志があるらしい。昔(1968年)浅草国際劇場で、倍賞美津子小月冴子が出たSKD(松竹歌劇団)のグランド・レビューを観たことがある。この劇団を応援したくなる。

(この踊り子を応援、裏口=楽屋口で会えた。)

 さてブログの観劇記が今ごろになったのは、川端康成の原作『浅草紅團』を未読であったからである。講談社文芸文庫の『浅草紅団』を購入、新聞小説であったためか、まるで当時の浅草の街そのもののように路地多く雑然としたこの小説を一気に読了するのは、至難であった。「東京の心臓(添田唖蝉坊の言葉)」であった浅草の街の半グレ集団「浅草紅団」の女ボス弓子(変装して少年明公にもなる)と、捨てられて気が触れてしまった姉の千代子のその恋人だった赤木の三人をめぐる物語が核となって、1930年代の大不況を背景にした浮浪者・売春婦・犯罪者たちの行動が風物詩のように描かれている。「ごった返す人間の渦巻の中にある」浅草の恐ろしさを描出しているのだ。形式としては、小説家=私が浅草の街を徘徊しつつ取材しての記録という展開である。この小説において文学的にすぐれているのは、隅田川に浮かぶ船の中での弓子と赤木の抱擁の場面であろう。
 自分を狂ってしまった「姉さんに見立てて、恋のお稽古をしていた」弓子が、亜砒酸の毒の数粒を赤木の掌に落とし、 
……「死ぬなんて嘘としたって—死んでもいいわって、ただ言うより、毒薬をポケットに入れて、死ぬわって言う方が、恋の喜びは強かない? —あんたにこれ飲ませちゃうから。」
 赤木が苦笑いして、薬を棄てそうにすると、
「いやよ。勿体ないわ。」と、弓子は男の掌に口をつけて丸薬を銜(ふく)んだが、美しい前歯でぽりぽり噛みくだきながら、眼一ぱい青く微笑んで、瞬かずに男を見つめていた。—と、いきなり男の首に飛びついた。唇を押し入れるように接吻したのだ。—男は毒薬に舌を刺された。……
 「ドガドガプラス」の舞台では、原作を自由に再構成(創造)し、カジノ・フォウリイのレヴュウを見せ場としていた。
……「和洋ジャズ合奏レヴュウ」という乱調子な見世物が、一九二九年型の浅草だとすると、東京にただ一つ舶来「モダアン」のレヴュウ専門に旗挙げしたカジノ・フォウリイは、地下食堂の尖塔と共に、一九三〇年型の浅草かもしれない。
 エロチシズムと、ナンゼンスと、スピイドと時事漫画風なユウモアと、ジャズ・ソングと、女の足と—。……
 まさに「歌って踊れる」のキャッチフレーズ通りで楽しめた。軍服姿の神崎栄子が、服を脱ぐと妖艶なダンサー、ベリーダンスを踊ってみせたが、衝撃的で演じたHITOMIさんに見とれてしまった。
 大正の大地震の後、大不況の中で戦争の跫音が聞こえてくる、そんな不安を漂わせながら、群舞のパワーとエロスが炸裂、演出家&振付師以下みなさまごくろうさまと声かけたい公演ではあった。
 http://www.tokyo-kurenaidan.com/kawabata-asakusa1.htm(「川端康成『浅草紅團』を歩く」)
 http://youpouch.com/2012/11/16/91978/?utm_campaign=Partner%3A+woman-excite&utm_medium=partner&utm_source=woman-excite(「川端康成とスイーツ」)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の沈丁花。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆