統計的考察を学ぶ

 
アメリシカゴ学派社会学の科長である山口一男教授の『ダイバーシティ』(東洋経済新報社)は、ファンタジーと「イソップ寓話」およびその二つの作り変えから構成された、「ダイバーシティ(diversity)」成立の可能性をめぐる日米比較社会論である。山口教授は、1981〜99年で、最も学術論文が引用された社会科学者250人中の一人なのだそうだ。安心して読むことができた。
 一般に「多様性」の意味である「ダイバーシティ」とは、互いの行動規範と文化を尊重しあえることである。現代の多文化主義の思潮が背景にあるだろう。内容的にはとくに斬新な見解や考察があるわけではないが、実践的な要請に学問の側から応じようとする姿勢があり、志の高さを感じる。それぞれの物語も登場人物(動物)の〈キャラが立っていて〉読み物としても面白く書かれている。
「六つのボタンのミナとカズの魔法使い」は、ボタンが七つあるはずの社会で、両親の手違いで六つしかない少女ミナが、魔法使いカズの支配する島に旅して、六つでもよいのであり、互いにボタンの数などで排斥差別しない「ダイバーシティ」の理想に目覚めるという物語。
ミナ……それでは、ボタンが見えたり見えなかったりするのは、すべて見る人の心の問 題なのですか?
カズ……必ずしもそうとは言えないな。事実と呼べるものは確かにある。しかし服のボタンや、その他の特徴は、その服が自分のものであれ他人のものであれ、見る人によってずいぶん違って見えるものじゃよ。それに、「自分の服」はみなそれぞれ違っていてあたりまえで、ボタンの数や形や色だけでなく、他の特徴も、同じでなくていいんじゃよ。
 もっともな見解ではあるが、「SMAP」も含めて、いわゆる「勝ち組」側が好んで主張する考えとして流通していることも事実ではないだろうか。例えばこの「違い」のなかに、ハリケーンの被害にあったニューオーリンズの町の住民の「生活」なども視野に入っているのだろうか。グローバル資本主義がもたらす「格差」は、社会学的な「違い」の問題には解消されないだろう。
 ミナが島で遭遇する難問の解決を通して、「囚人のジレンマ」、「共有地の悲劇」、「予言の自己成就」、「カントの道徳哲学」、「統計の選択バイアス」、「事後確率(ベイズの定理)」など、社会学・哲学・統計学の基本的概念と考え方を読者は学ぶことができる。とてもわかりやすい。
 イソップ寓話の「ライオンと鼠」の物語が日米相違している。その背景にある「規範と行動」文化の違いを指摘し、それぞれをさらに現代日米の行動傾向に照らして脚色し、仮想の討議の授業を展開させている。「日本的契約」をめぐっては、かつての安田三郎氏、山本七平氏、小室直樹氏などの議論以上のものはない。若者の行動傾向に関しては、「ミニマム世代」と呼ばれる現代の若者の消費行動・消費生活などの動きが把握されておらず、若い世代全体の可能性について結論は急がないほうがよいだろう。ハーバート大学法科大学院教授とも情報交換して著作の準備をした山口教授の、日米司法制度および慣例をめぐる比較論は考えさせられる。
……日本では、民事的な紛争では、当事者同士が直接和解できるなら、できるだけそれを助け、それが無理なら仲裁裁定や訴訟というステップを踏むことが慣例化している。しかし、最初からすべてを弁護士などの仲介者に任せて当事者は直接話しあわないアメリカのやり方に比べると、当事者同士が話しあうのは精神的・心理的な消耗も多い。……
 日本の「裁判員制度」導入について、山口教授は否定的である。丸山真男政治学の「民主主主義的個人」の確立のない風土では、うまくいかないだろうということだ。
……いまだそういった「民主主主義的個人」が育たず、身の回りの問題だけに主たる関心があり、また「空気にあわせる」ことをよしとする最近の日本の文化的土壌の下での裁判員制度導入には、特に大きな疑問が残る。……(2008年9/1記)
 上記は、HPに記載のreviewであるが、このなかで触れている「統計の選択バイアス」と「事後確率(ベイズの定理)」は、統計的考察にあたって、知っておくべき基本の問題のようだ。
「統計の選択バイアス」は、統計的分析を通じて社会現象の因果関係を見極める際に、説明要因が結果に影響する要因と独立に(またはランダムに)選択されていないと、因果関係の推定に誤りをもたらすということである。たとえば、転職すると生涯賃金が低下するとの『労働白書』の説明で、実際には収入が低い者ほど転職する傾向があるという選択バイアスのせいで、非転職者に比べて転職者の生涯賃金が低くなっているとの結論を導いている場合がそれである。
「事後確率(ベイズの定理)」は、何かが起こったという情報を加味すると物事の起こる確率が変わるという考え。
 http://d.hatena.ne.jp/pashango_p/20090809/1249805193(「ベイズの定理」入門)

 統計のとりかたそのものがずさんであると、手法以前のところで認識が間違ってしまう。「若者の内向き志向」などとの、昨今のメディアの指摘については、下の統計が正してくれる。
 http://www.r-agent.co.jp/kyujin/knowhow/tatsujin/20101118.html(「リクルートエージェント」)
 数値の意味&単位を理解しないと、統計的考察が成立しない。定量的に理解することが求められる。
 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20110822(「内科医NATROMの日記」)
 http://www.yasuienv.net/WhyZeroRisk1.htm(「現代人のリスク感覚」)

 苦手な統計的考察についてさ迷うのはやめにしよう。『「空気に合わせて」見かけ上の合意や調和を得ることは、人々の多様性のゆえに得られる豊かな情報を用いることができないということになるし、少数派の意見を差別しがちになる点で、自由な考えを抑圧する危険も大きいと思う。』(『ダイバーシティ』pp.190〜191)との、山口一男氏の心配は杞憂とはいえないだろう。

ダイバーシティ

ダイバーシティ

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、上コリウス—花と葉(2)、下ペチュニア。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆