農政トライアングル

 元農林省「キャリア官僚」山下一仁氏の『「亡国農政」の終焉』(ベスト新書)を読むと、日本の農業が直面する問題の所在と、解決を困難にさせてきた、歴史的ともいうべき障壁の実態がイメージできる。
 すでに明治時代に当時の農業保護関税に関し「保護主義ではなく、農業改良、農業の生産性の向上が必要である」と、柳田國男の主張した農政の方向は、戦後から現代において、自民党農林族⇄農林水産省⇄農協(=兼業農家)の農政トライアングルによって阻まれ、「改革案を出しても、農協や自民党農林族につぶされてしまう。それだけではなく、農林族の意向を忖度する省内の人達によって、省内でもつぶされる。農林大臣の石破でも、自分の考えを通せなかったのだ」。 
「ガット・ウルグァイ・ラウンド(1986〜1994)」で、コメの「関税化=非関税障壁の撤廃、およびミニマムアクセスに代わり、品目の内外価格差を関税に置き換えられること」に農業界は非論理的に反発し、「ミニマムアクセス」としての一定割合の外国米の輸入を義務づけられたままを選択して今日に至っている.このことが、汚染輸入米の横流し事件を生んだのである.株式会社の農地取得についても、農協が強く反対したが、「これまで日本の全水田面積を上回る規模の農地を転用・放棄してきたのは農家自体であり、転用利益が預金された農協はこれを運用して莫大な利益を得ていた」のだ。「利権が絡むだけに、農協の抵抗は執拗だった」.
 減反という〈カルテル〉行為をしてまで高い米価にこだわるのは、「農協にとっては、米価が高いとコメの販売手数料収入が高くなるので、手数料収入の維持のため高い米価が必要となる」からのようだ.農業の「多面的機能」を考える場合も、「水田を水田として使わないようにしようという減反政策を長年支持してきたのが、農協や農林族議員」であったことは忘れてはならない。
 全面自由化して主業農家による中規模農業をめざすことについて、アメリカの単作・大規模農業のように、化学肥料・農薬を多投するようになるのはまずいとの反対の声があるが、事実は、日本の小規模農業のほうが、単位耕作面積あたりの農薬使用量はアメリカの8倍で、しかも多くはコメ単作・兼業である.むしろ規模の大きい主業農家ほど、肥料・農薬の使用を控え、かつ多品目農業を行っているのだ.
 食糧自給問題についても、「アメリカもフランスも日本より農産物輸入額は多いが、それ以上の農産物を輸出」しているのであり、日本も「輸出による農業生産の拡大で、食料安全保障に必要な農地も維持できるだけでなく、世界食料安全保障にも貢献できる」ということである。「個別品目ごとに自給率100%をめざしている国は、どこにもないのではないだろうか」。
 主業農家を農業の主体として、直接支払いの所得補償をして、彼らが兼業農家から農地を賃貸してもらい規模を拡大し、生産性をあげて低価格のコメを都市消費者に届けるのみならず、海外市場での販売も拓いていくのを支える、というのが農政における「山下理論」であるとまとめてよいのだろうか。
 ともあれ素人がこれからの日本農業を考察するためには、「家庭菜園」や「農業体験」で土と戯れること以上に、経済学の基本を学ぶことが必要であろう.小農=貧農であった時代(「今や小農、零細農家は、本職はサラリーマンなので富農である」)の〈常識〉で、感傷的な議論に陥ってはなるまい.
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51301394.html
http://agora-web.jp/archives/1127236.html
http://agora-web.jp/archives/1126331.html
http://agora-web.jp/archives/1126680.html
http://diamond.jp/articles/-/9965

「亡国農政」の終焉 (ベスト新書)

「亡国農政」の終焉 (ベスト新書)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のセンリョウ(千両)の実。小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆