秦恒平『親指のマリア』(筑摩書房)の「審問の章〈ヨハンⅡ〉」では、新井勘解由(白石)が、長崎通詞の今村源右衛門とその部下の通詞品川兵次郎、加福喜七郎らを従えて、二人の奉行とともに連日シドッチ神父を審問する。世界地図を拡げて、勘解由が西洋の地政学的・歴史的事情を問い質すところは、面白い。この章は、シドッチ神父の視点に寄り添って成立している。
……伝えられた新井勘解由の関心は、やはり、「世界」だった。一昨日の初対面で察しはついていた。だが…何を、どう聞いてくるか。それで新井の「世界」が逆に見えてくる。……(p.154)
ローマの場所、地中海についてシドッチ神父が地図で示し、生まれ故郷のシチーリア島を指さすと、「ホゥーと、ほとんど無邪気な感嘆の声が新井勘解由の口からも漏れた」。
……扇子の柄が虚空を大きく山なりに動いて、日本の、江戸へ戻ってゆく。冗談という口調でもなしに、「粟散の辺土」と誰かが唸った。今村は粟を指の先ではじく真似もして、その言葉の意味をなんとか彼にも伝えた。地図には、蝦夷地はおろか奥州の半ばより上がまるまる欠けていて、江戸の東は、海ですらなくいきなり円の外、世界の果て、だ。……(p.170)
この「粟散(の)辺土」は、「粟散国」あるいは「粟散辺地」と同意味の、仏教語由来の用語。中村元著『佛教語大辞典』(東京書籍)によれば、
○粟散國(ぞくさんこく):1=粟を散らしたような小さい国。粟散王(小国の王)の領有する国土。2=インド・シナなどの大国に比して日本をいう呼称。
○粟散片州(ぞくさんへんしゅう):片州はきれはしのような島。日本のこと。
○粟散邊國(ぞくさんへんごく):辺境の小国。粟散國に同じ。
○粟散邊地(ぞくさんへんち):粟散邊國に同じ。
『新潮国語辞典』(新潮社)には、「粟散辺土」の項あり、「粟散辺地」に同じとある。
梶原正昭・山下宏明校注『平家物語』(岩波文庫)の巻二「座主流」には、「さすが我(わが)朝は、粟散辺地(ぞくさんへんじ)の境、濁世(じょくせ)末代といひながら、澄憲(ちょうけん)これを附属して、法衣の袂をしぼりつゝ、宮こへ帰(かえり)のぼられける、心のうちこそたッとけれ」とルビが振ってあり、「よみは正節本・天草版資料による」と注にある。
※附属(付属):教えを後世に伝えるようにと授け与えること。教えを授け、たのみ託する。『佛教語大辞典』(東京書籍)