超一流のダンスパフォーマンスは、さいたま芸術劇場にあった

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    7/24(土)は、彩の国さいたま芸術劇場にて、新潟を拠点とし外国人ダンサーも多く所属する、金森穣主宰のNoismのダンス公演『春の祭典』ほかを観てきた。蜷川幸雄亡き後、さいたま芸術劇場に出向くのは何年振りか、わからない。翌日は第2回目の新型コロナワクチン接種に中山競馬場に行かなければならない。ふつうはその前日の公演チケットは買わない。しかしNoismの舞台なので、あえて購入。埼京線与野本町駅から劇場までの歩きは、酷暑のなかでも風景が懐かしく心弾むところがあった。
 メインのダンスは、ストラヴィンスキー没後50年を記念しての春祭であるが、中心ダンサー井関佐和子のソロ(動きを追うカメラマン&パートナーとして山田勇気)『夏の名残のバラ』、映像のみの『BORERO 2020』、そして『FratresⅢ』の3作品。いずれもむろん、金森穣の振付・演出で、『FratresⅢ』では祈りの祭儀の祭司のような役割で、舞台中央でみずから踊る。『BORERO 2020』はモーリス・ベジャールへのオマージュだろう、各ダンサーが日常の所作そのものを舞踊化し、最後のクライマックスで集まった一つの輪として完成する。ジョルジュ・ドンとシルヴィ・ギエムの『ボレロ』とは違った味があり、最後に唸らされた。『夏の名残のバラ』は、プログラムをはじめに読まない主義なので、勘違いでトップの作品がその題名の舞台と知らなかた。たった一つ枯れ残ったバラの哀しみと矜持を、若くはない身体を対象化しつつ踊って見せた井関佐和子は、すばらしい。『FratresⅢ』は黒を基調としていた(衣裳:堂本敦子)が、20分休憩後の春祭は、白をベースにし(衣裳:RATTA RATTARR)、椅子が小道具として多様な使われ方(須永檀)をしていた。個人的感想では、メインの春祭よりも『FratresⅢ』に衝撃を受けた。滝行を課せられた修行者たちのようなダンサーたち、最後には中央の祭司=金森穣の頭上にも惜しみなく水が降ってくるが、舞台に水をこれでもかとぶちまけた、前劇場監督の蜷川幸雄へのオマージュの意味もあったのだろうか。舞台が暗闇と化したとき、息を呑んだ。

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