山岸凉子『日出処の天子』が読みたくなる

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 今年が聖徳太子1400年遠忌(おんき)の年にあたるとのことで、『芸術新潮』(新潮社)7月号は、その記念大特集「聖徳太子:日本一有名な皇子のものがたり」を組んでいる。写真や絵を眺め、いちばん取っ付きやすそうな、坂本葵『未来からの使者、厩戸皇子ー「日出処の天子」を読む』を読んだ。研究者であり、かつ作家(表現者)でもある坂本葵さんの書いたものを読むのは初めて。一読、昔熱心に読んだ栗田勇の評論・エッセイを思い起こした。ロートレアモンの『マルロドールの歌』の翻訳をしている、栗田勇の文章は当時新しい〈日本浪曼派〉などと評されることもあったが、軽快で冷静な筆の運びで、それでいてどこかで陶酔させるところがあった。
 山岸凉子の長編マンガ『日出処の天子』は読んでいない。梅原猛の『隠された十字架ー法隆寺論』(新潮社)にインスパイアされてこの作品が生まれたのだという、そうだったのか。「日本に遍く仏法を広め偉大な国にする」という「途方もなく壮大な使命」を自覚した「超人的力の持ち主」厩戸皇子は、「目的達成のためにはチェーザレ・ボルジアのように手段を選ばず、捨て身の作戦やえげつない陰謀をも厭わない」との人物像には驚いた。いまWOWOWプレミアで放送中の『レオナルド〜知られざる天才の肖像〜』第6話で、チェーザレ・ボルジアが登場し、みずからの腹心を怠慢の廉で広場で斬首刑に処し、「これでみなが俺を怖れるだろう」と嘯くところがあって、その計算された残忍さに〈感服〉させられたばかりで、厩戸皇子もそうだったのかと、しばし呆然とした。
 厩戸皇子は遠く未来をも幻視し、救済ではなく世の破滅と累々たる屍が見えている。
……厩戸皇子の目は、遠い海の彼方で次々と遣隋使船の沈む光景、何千巻もの仏典が海底(わだつみ)に沈み水泡(うたかた)となって消える光景を幻視する。数多の努力が無為に終わり、救済の日など来ないであろうことを知っている。
「すべて無駄な事だ/無駄な事とわかっていて/それでもわたしは活きてゆく」……(p.93)