年初のエッセイ「文学作品のなかの花」

文学作品のなかの花
 昨年の暮。毎年剪定・手入れをしてもらっている植木屋さんに頼んで、作業のはじめに庭のざくろの木を伐採してしまった。枯れて傾き、裏の出入口を塞いで困っていたからだ。鮮やかな実をつけていたころの思い出は封印することにした。川端康成『掌の小説』の一篇、「ざくろ」では、出征する前にきみ子に会いにきた桂吉に母が庭のざくろを出した。桂吉はざくろを二つに割ろうとして落として帰って行った。

 母はそのざくろを台所で洗って来て、
「きみ子。」
 と差し出した。
「いやよ、きたない。」
 顔をしかめて、身をひいたが、ぱっと頬が熱くなると、きみ子はまごついて、素直に受け取った。
 上の方の粒々を少し桂吉が齧ったらしかった。母がそこにいるので、きみ子は食べないと尚変だった。なにげない風に歯をあてた。ざくろの酸味が歯にしみた。それが腹の底にしみるような悲しいよろこびを、きみ子は感じた。

 ざくろの実は、エロスと生命の象徴であろう。しかしわが庭のざくろのように、いつか枯れてしまうときがくるのも、たしかなことである。
 もう一人のノーベル文学賞作家大江健三郎の『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』には、ウドン花という植物の名が出てくる。四国の伝説の「メイスケ一揆」を、ルターと同時代のミヒャエル・コールハースの反乱の日本版として映画化しようと試みた物語を、主軸にした作品である。かつてわがブログに記している。
……読者は怠惰では読み通せない。四国の「メイスケ」伝承の源流は、東北の「三閉伊(さんへい)一揆」であって、その指導者三浦命助のことば、「人民雲霞の如く」は「露顕状」と明記されてあるが、「人間は三千年に一度さくウドン花(げ)なり!」は、岩波版『日本思想大系』58『民衆運動の思想』にあたらないとわからない。これは「獄中記」のことばで、「ウドン花」とは、三千年に一度咲くというインドの想像上の植物だそうだ。つまり人間そのものが最も貴重だという意味のことばだ。……
 少女のころ映画『アナベル・リイ』撮影中に犯されていた当の相手のアメリカ人と結婚したサクラさんは、アメリカの属国となった戦後日本の比喩なのか。しかし日本の宰相をアメリカ大統領のポチかと憤慨する人たちは、ではどうやって自力で、大国中国と北朝鮮に相対峙するのか、みずからが責任ある立場に立たされたとき苦悩しないだろうか。
 一昨年つくしこいし鳴く季節に亡くなった葉山修平は、長篇小説『小説・永井荷風』をある雑誌に連載していた。父の邸宅〈來青閣〉での、遠い日の生活を回想する件が描かれている。

 四十歳という年ごろに、どうしてあれほど草花や小動物に親しんできたのか。たぶん〈來青閣〉がそうさせたのだ。いま彼の陋屋には花ひとつない。まあ、いい。〈來青閣〉は遠い日の夢なのだ。なつかしさに、大正七年の「断腸亭日乗」の草花や小動物を追ってみるのだ。

 断腸花(秋海棠)を愛した断腸亭主人荷風のエッセイ「來青花」で、この來青花について、「園丁これをオガタマの木と呼べどもわれ未だオガタマなるものを知らねば、一日座右にありし萩の家先生が辞典を見しに古今集三木の一古語にして実物不詳とあり。然れば園丁の云ふところ亦遽(にはか)に信ずるに足らず」と書いている。どうやらこれは、モクレン科オガタマ属のトウオガタマ(別名カラタネオガタマ)らしい。五月ころからバナナのような香気を放って咲くというから「異香馥郁たり」の描写にも合致する。『小説・永井荷風』では、年経て荷風は、市川八幡宮の植木市でその名を知ることになる。
 さて長篇小説『小説・永井荷風』は未完のまま、作家は旅立って行った。昨年は、勝手に喪に服し、年初の挨拶を欠礼した次第である。(戊戌元旦)
 永井荷風 来青花
 トウオガタマ