「待つわ」と「まつとし聞かば」

 昨日8/5(土)夜7:30〜10:00 NHK・第49回『思い出のメロディー』(司会有働由美子氷川きよし)に、あみんが登場、ひさしぶりに「待つわ」を聴いた。




 「待つわ」に関連して、2007(平成19)年元旦の「花粉期―歳旦譜」に掲載したエッセイ、「まつとし聞かば」をここに載せておきたい。
◆夏に冷房のないところで長い時間仕事をしていたためか、目眩がして、総合病院で検査してもらうと、とくに身体に異常はないとの診断だった。ところが何日か自宅で休養をとっていたとき、急に目眩と息苦しさに襲われ、すぐに近くの総合病院に行った。 
 脳神経外科でのMRIなど精密検査の結果、やはり特別の病状はないということで、四日間ほど点滴治療の入院ですんだことだった。目眩が起こると、これは何かの徴候ではないかと、予期不安が募り、そのため血圧が急上昇してしまった、と考えられるということで、安堵した。どうしても人というものは、徴候でないものを徴候としてまだ起こらない先を読んで、自らを追い込んでしまうところがあるようである。 
「予期」とは、既知によって「未来」を測るものであるが、真の「未来」は、未知なるものを含むのであって、その未知なるものは不意に襲来するから「予期」した「未来」が「いま」になるわけではない。
 その認識を覚悟として『待つ』ことの意味を、臨床哲学者の鷲田清一氏は近著『「待つ」ということ』(角川選書)で掘り下げて考察している。太宰治の掌篇『待つ』をはじめに、宮本武蔵の巌流島の決闘を挟み、最後はサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を取り上げている。太宰治の『待つ』の主人公は、「駅の冷たいベンチに腰かけて」誰かを待つのではなく、また「もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。なんだか、わからない。例えば、春のようなもの。いやちがう。青葉。五月。麦畑を流れる清水。やっぱり、ちがう。ああ、けれども」待っている。武蔵は、出立までの昼寝によって「待つー待たされる」関係に囚われることから自らを解き放つ。『ゴドーを待ちながら』の二人の登場人物は、来る筈もないゴッドならぬゴドーを待つ振りをしつづけて倦怠を糊塗するしかない。 
 認知症の患者に対して、「よろしくない」加減がもはや極限に達するまで待つというケアの方法があるのだそうだ。「期待ではなくあらゆる期待のかけらをも見果てたのちに、それでも待つことをおのれに言い聞かせることができるとしたら、それは何の力に拠るのだろうか」と、鷲田清一氏は問い、終章で「とどのつまり、待ってもしかたがないとじぶんに言い聞かせ、待つことを放棄するなかではじめて、待つということのほんとうの可能性が到来するということだ」と結んでいる。つまり祈るように待つしかないところに、人間の「待つ」の始源性があるということなのだ。「待つ」いとなみに人間の悲劇性も喜劇性もあるのは、そのためなのだろうか。
 太宰治ベケットの作品以外でも、「待つ」行為が重い意味をもっているものを、乏しいわが記憶のなかから思い起こす。
 ソフォクレスの『オイディプス王』では、王はテーバイを襲う疫病の流行の原因を探るべく、義弟のクレオンをデルポイに派遣し、その帰還を待ちわびる。「あれからすでにいく日かたったかかぞえてみると、どうしているのか、不安でならぬ。戻ってきてもよいころなのに、あれ以来旅に出たきりだ」となかなか戻らぬクレオンに不安をもつが、真実は、待っている当の「神託」こそ彼を絶望の底に導くものだったのだ。まさに未来は未知なるものを連れて襲来する。
 バルザック『十三人組物語』の一篇『ランジェ公爵夫人』においては、それまで男どもを恋愛遊戯の対象としてしか遇してこなかったランジェ夫人が、主人公による恋の駆け引きで、逢い引きの場所でまるで佐々木小次郎のように待たされて、ついに修道院に入ってしまう。ところが待たせた主人公も真実の恋を失ってしまうのだ。
 ガルシア・ロルカの『ドニア・ロシータ』では、アンダルシア地方で暮らす美しい娘ロシータの婚約者が、父親の農場を継ぐため南米に渡ってそのまま二五年間も帰ってこないのに、ロシータはひたすら待ち続け老殘を託つ身となってしまう。ランジェ夫人も、ロシータもあまりにも哀しい。目眩症の身で語る資格はないのだが、女性を待たせてはならず、中納言在原行平にならって「まつとし聞かば今帰り来む」とすべきなのだろう。
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2317_13904.html(「青空文庫太宰治『待つ』」)