陰謀について

 マキアヴェリの「陰謀について」(『政略論』第3巻第6章)では、「陰謀をくわだてるにあたって」は、三つの段階において危険が待ち構えているとのことである。計画を練る段階、実行に移す段階、実施後の段階の三つである。「この三つの関門を首尾よくくぐり抜けることは至難のわざであるので、目標にたどりつける者はごくわずかである」としている。マキアヴェリの考える陰謀をしかける対象は、君主か共和国の場合であって、現代においてはどこに向けられるのであろうか。さらに、影響力の及ぶ過程が複雑となっている現代では、単純な力の隠れた行使のみではその目的の成就は不可能といえるだろう。また、陰謀の発覚は目標の実現を阻むが、マキアヴェリは、「きわめて慎重な配慮に加えて非常な幸運が伴わなければ」陰謀は露見してしまうと述べている。

 PCを利用して〈陰謀〉の痕跡を嗅ぎまわる人もいるようである。ご苦労なことではある。だいたい一般市民にすぐ見破られてしまうような〈陰謀〉が、陰謀として成立するのかどうかとまず考えてみることが必要であろう。いずれにせよ陰謀の餌食になることを防ぐためには、力を蓄えるほかあるまい。
……ここで、私は陰謀をしかけられた君主や共和国に対し、あえて次のような忠告を与えておきたいと思う。つまり自分たちに対する陰謀が露見したばあい、なにがなんでも首謀者に仕返しをするのではなく、そのまえに、陰謀の性格を理解するように慎重につとめなければならない。さらに叛徒の力と自分たちの勢力とをよくくらべて、叛徒の力が強大であなどれぬものがあるばあいは、けっして陰謀をあばきたててはならない。そして、弾圧できるだけの実力がそなわるまで事態を静観しなければならない。さもないと、いたずらに自己の破滅をあおる結果になるからである。……(ちくま哲学の森3『悪の哲学』所収・マキアヴェリ「陰謀について」永井三明訳・p232)

 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110725/1311561901(「国家と宗教:マキアヴェッリ悪の華』」)