〈運命の逆転〉の世界


 J.G.A.ポーコック(Pocock)の大著『マキァヴェリアン・モーメント(The Machiavellian Moment)』(田中秀夫ほか訳・名古屋大学出版会)を、行きつ戻りつ読んでいるが、政治家の運命についての記述に興味を覚えた。
……ゴート族の王に仕えたローマの貴族であるボエティウスは、失脚し、投獄され、やがて死刑となった。ボエティウスは、予期したよりもたぶんずっと悪い運命を嘆き、またそれを受け容れようとして、おそらくは獄中で、この本を書いた。『哲学の慰め』は政治哲学の作品ではなく、政治的人間の哲学である。ボエティウスは、自分が善のために用いてきたと信じる権力を失ったことに、また他人が権力を悪用して彼に不正に加えた暴虐に、不平を述べている。それゆえボエティウスは、人間は幻想を抱かずに行動せねばならないとはいえ、〈地上の国〉という領域で行動せねばならないと感じた—非アウグスティヌス主義者ならそう感じなかったが—すべての人の代弁をしているのである。そしてそのなかの文章には、古代の倫理は有徳な者に自らの行為が他人の徳の誘因となるように行為せよと命じている、と述べる文章もあれば、行為で表現されなければ錆びつき衰えてしまう徳がある、という意味の文章もある。しかし政治において活動することは、人間の権力組織の不安定性に身を晒すことであり、そして有為転変と〈運命の逆転〉peripeteiaの世界—その歴史が政治的不安定性の次元である—に入ることである。……(同書p.34)