評判の、画家山口晃さんの『ヘンな日本美術史』(詳伝社)を読む。巻措く能わずといったほどではないが、ところどころ面白く、学ぶこと多かった。画家の論だけに、絵師の筆遣いや呼吸が伝わってくるような展開となっている。とくに画面における物質性に注目しているところは啓蒙される。たとえば、「尹大納言絵巻」や「枕草子絵」などの白描画は、モノクロの絵画であるが、黒が重要である。
……絵と云うものは、色を着けた方が完成度が上がるように思う方が多くいらっしゃるかもしれませんが、必ずしもそうとは限りません。むしろ逆の事も多くて、白描で完成度の高い絵に不用意に一色差すと、それは着彩した絵の一番下のランクに落ちてしまいます。白と黒によって保たれていた微妙なバランスが、色と云う他の要素によって崩れるからです。……(同書p.40)
日本人が好むとされる印象派と比較して、
……印象派の絵画も、カラーではありますが、一塗りの荒さや塗り残しから覗くキャンバス地が画面の物質性を意識させる点で、白描画において紙と墨がまず目につく状態と似ています。
そして、それらバラバラな絵具の筆致の集まりが、離れて見た時に溶け合って一つの空間が現われるという快感をもたらします。日本人は印象派を非常に好みますが、よく言われるように綺麗で分かりやすいと云う面以外にも、こうしたイリージョンに魅せられているのではないかと思います。……(同書p.42)
個々の絵師をとり上げたなかでは、「下膨れ」の人物画を描いた岩佐又兵衛論が面白かった。「洛中洛外図屏風(舟木本)」の作者である可能性も高いとの岩佐又兵衛は、織田信長に反旗を翻して一族殺された荒木村重の子であった。「洛中洛外図」でも武家の登場人物が多く描かれている。他の階層の人たち含めて2700人以上が「下膨れ」の顔で描かれているので、かつて展覧会場でこの絵を見た山口晃さんは「叫びだしたくなった」そうである。
画面の物質性に注目すべきであれば、印刷された美術書では鑑賞に不十分なのであるが、わが所蔵の『日本美術絵画全集13・岩佐又兵衛』(集英社)を眺めてみた。なるほどどの人物も「下膨れ」の顔である。『山中常盤物語』巻4の「盗賊に衣を剥がれたる常盤主従—山中の宿」と、同巻4の「瀕死の常盤—山中の宿」は、衝撃的である。近江の山中の宿で、常盤主従が6人の悪党に襲われ、主従とも衣を奪われる。「なさけなしよもののふも、もののあわれはしるぞかし、小袖をひとつえさせよ、なににてはだへをかくすべし、よしくれずともちからなし、いのちとともにとりてゆけ」との常盤の高い声に立腹した悪党の一人が戻って常盤を刺した。日本美術史家辻惟雄氏の解説によれば、
……肩を丸めて去るせめくちの六郎(※刺殺した悪党)の表情には、悔恨が見えなくもないが、他は足を留めてこの情景を冷酷に見やる。松の葉先はうなだれて、消えてゆく生命を暗示する。単なる残酷表現を越えた、悲愴感、厳粛感が常盤の周辺に漂うのは、又兵衛がみずからの生母の悲劇をこの場面に重ね合わせて感情移入したことに、あるいはよるのかもしれない。……(『日本美術絵画全集13・岩佐又兵衛』p.129)
山口晃さんは、実際に見た景色を元に描く「真景」のことに触れてから、
……私はこの「真景」と云う言葉を、目に見える実物よりも一層、真実に近い物と云う意味で解釈しています。要は、そのままを描いたのでは、その物を言い尽くす事はできない云う考え方です。
又兵衛の絵に通底するものとは、その人間のドラマに於ける真景に到達しようと云う意志ではないでしょうか。誇張された表現にみなぎる身体性と、そこに表われる心象に見る者は酔い、その狂騒の後に来る「凪(な)ぎ」に何やらゾッとする深淵を見たのです。……(同書p.180)
http://blog.goo.ne.jp/jchz/e/1f5031c375b81908f5b279cd9d3bfb9a
(「山中常盤物語絵巻」)
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