仏教徒五木寛之の養生訓


 かつて五木寛之氏のNHKで放送された『五木寛之・21世紀仏教への旅』シリーズは、その映像の美しさにも感動しつつ学ぶところが多かった。氏の作品をこれまで読んだことがないこともあって、世間的には知らぬが作家としてよりも在家仏教者として敬意を払っている。
 近著『医者に頼らず生きるために私が実践している100の習慣』(中経出版)を読む。医師・医学研究者の健康法とは異なり、生き方全般の問題として養生について語っている。病気はそもそも「治る」ものではなく、「治まる」だけだという病気と治療をめぐる基本的考え方を前提にしている。五木氏は、長く腰痛に悩まされてきたそうである。
……病気やけがなどとは無縁に生きてきた人には、とてもわからないことでしょう。
 自分の耳で音楽が聴ける、自分の歯でものを食べることができることのありがたさは、そうできない人にとっては、言葉で言いあらわせないほどです。
 その意味で、ときどき病気をすることは、人間にとって悪いことではありません(ただし、時間とともに症状が軽くなっていく病気に限りますが)。
 腰痛に限らず、頭痛も腹痛も、あらゆる痛みは体の奥から発せられる信号であり、警告なのです。自己の存在の深いところから呼びかけてくる、声なき声。
 その声に素直に耳を傾けるところから、真の養生の道は開けるのです。……(同書pp.69~70)
 この声なき声を「身体語」と名づけ、「そういうささやきに、謙虚に耳を澄ませ、敏感にその言葉を聞くようにする」ことを通して、「自分の体と対話する」生活を実践している。体というものは、それぞれ個性的で科学の普遍性では割り切れないところがある。また同じ医学博士の間でも見解が分かれる場合がある。「個性と普遍性の狭間で一人ひとり生きている」ことを忘れず、各人自分にあった養生を勧めるのである。
 いま81歳の五木氏は、定期健診を受けたことがないそうである。ガンなどの病気を「早期発見」しても、「治める」だけで「完治させる」ことはできないとし、
……検査をうけずに生きるということは、手遅れを覚悟して生きるということなのです。そうなったときは、あきらめるしかない。
 それは、命を粗末に扱うということでは決してありません。命を大切にしたいからこそ、できる限り、切ったり、薬を使ったりしない。自分の天寿を受け入れて世を去る、ということを認めるための、代償を払う決心がつくかつかないか、なのです。……(同書p.122)
 老化についても自然の流れであるとして、ことさら逆らわないことが肝要。人生は思う通りにならないものとブッダの「苦」の教えに従い、「思うにまかせ、穏やかに生きる」ことを良しとしている。
……一生懸命リフトアップしたり、体を鍛えてアンチ・エイジングにつとめるのもいいかもしれませんが、老化を客観的に明らかに認めるのが自然でしょう。……(同書p.209)
 メディアでは「元気老人」が取り上げられ、圧倒されることが少なくない。
……メディアに取りあげられるような元気な長寿者は、ほんのひとにぎりにすぎません。みんなの希望や理想として、いちばん天辺(てっぺん)の人をピックアップして出すわけです。……(同書p.180)
 目の色を変えて行なう健康法ではなく、「趣味」としての養生を説いている。大いに納得できたことである。
 http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=80716&from=popin(「本当に必要ながん検診とは」)
 http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=81258&from=popin(『「早期発見・早期治療」の意味』)

 8/22に受けた市の健康診査の結果を、9/3に(内科)病院で聞く。アルブミン・GOT・GPT・γ–GT・中性脂肪・HDL・LDL・尿酸・尿素窒素・クレアチニンHbA1c・赤血球数・血小板数・ヘマトクリット値などすべて基準値内であったのに、(3月検査では引っかからなかった)血中白血球数と尿検査で異常が出て、11月に再検査となってしまった。8/22当日朝は、下痢気味で起きてすぐ寝転がっていたりと体調すこぶる悪く検査を休もうと思ったほど、たぶん一過性のなにか症状が出たかと。クレアチニン値基準内でもeGFRを計算すると、微妙にCKD(慢性腎臓病)の段階に突入しているので、油断大敵。幸い血圧は、病院血圧:上135下82、翌日(起床後)家庭血圧:上124下77、昨日9/8は、上121下76なので安心。あとは、「林住期」を生きるわが養生はタンパク質&塩分の摂取量規制であろうか。とても「趣味」としての養生の域に到達していない。