「パリ祭」の由来

 かつて鹿島茂氏が「東京新聞」2002年(平成14年)7/14(日)号『文化』欄に、「ラ・マルセイエーズ」と題して面白いエッセイを載せていた。「パリ祭」という語の由来についてまず述べている。
……戦前にルネ・クレール監督の「七月十四日(※Le Quatorze Juillet)」という映画が輸入されたとき、これを「革命記念日」としたのではとうてい検閲を通らないだろうと考えた配給会社が「パリ祭(※巴里祭)」と訳すという名案を思いつき、以後、日本では七月十四日はパリ祭と呼ばれるようになったと伝えられている。
 しかし、革命記念日をパリ祭にすり替える、いかにも日本的この操作には、検閲逃れという以上のなにかがあるような気がする。つまり、これによって、確実に血みどろの内戦であったはずのフランス革命からまがまがしい要素が払拭され、その代わりに、おしゃれで上品な「おふらんす」のイメージが新たに置かれたのである。……
 そしてフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」は、歌詞を読めば「血みどろの、好戦的気分丸だしの残忍な歌」であることがわかるとしている。なるほど一番の最後のところは、氏の訳詞によれば、「さあ、進もう!進もう!(やつらの)不純な血でわれらが畑のうね溝を浸して見せるぞ」となっている。鹿島氏は、エッセイをこう結んでいる。
……したがって、日本人が、革命記念日を「パリ祭」と言い換えるような薄っぺらな文化的インターナショナリズムでフランスを捉えようとすると、強烈なしっぺ返しを受ける。
 七月十四日はたんに王政を覆した革命記念日であるばかりではない。侵略国を追い払うことで生まれたナショナリズムの誕生記念日でもあるのだ。…… 
(フランス映画『巴里祭』より、主題歌 「巴里恋しや」)