菊について

 フランス文学者鹿島茂氏の、かつて1年間日本経済新聞に連載したエッセイ『ア・プロポ(ところで)』の、1997年11/2掲載「菊:カトリックと密接に関係」で、秋のフランスでは、カトリックの行事によって菊の花が一般民衆に親しまれていることを紹介している。

 11月1日の万聖節(La Toussaint=トゥサン)の日に、パリの多くの人びとがペール・ラシェーズ墓地やモンマルトル墓地などの、先祖の墓のある墓地に出向き、それぞれの墓に菊の花の鉢を供えるのだとのことである。なおこのエッセイでは説明されていないが、カトリック本来の死者の日は翌日の11月2日なのだが、この日は法制度上祝日にはあたらないので、万聖節の日に墓参りする慣習となったようである。

 

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 ではなぜ菊の花を供えるのか。中国からもたらされた菊が19世紀の中頃から、プロヴァンス地方で栽培されるようになり、その後ヨーロッパに広がったらしい。文学作品では、「とかく離別の歌や死別の歌に菊の花がうたわれているケースが多い」とのこと。

 それというのも、菊の花咲く秋は、ヨーロッパでは、日本のさわやかに晴れ渡った秋とちがって、雨がじとじと降り続く物悲しい季節で、冬籠もりと人生の終わりを連想させるからである。「万聖節のような天気」といえば「寒々とした気候」という意味である。菊は「あまりにも短かった我らが夏の輝き」(ボードレール)に惜別を告げる花なのだ。

 しかし、それは同時に厳しい冬に向かって、心の準備が整ったことを伝える花でもある。万聖節の菊が散ったあと、パリの街角にはいっせいに劇場ポスターの花が咲き、華やかなクリスマス商戦の季節がやってくる。

 菊の鉢を題材にした短篇に、ジョン・スタインベックの「菊」がある。この作品については、広島の文藝同人誌『石榴』を拠点にする作家木戸博子さんの、『クールベからの波』(石榴社)所収のエッセイ「三人の指をめぐる物語」が面白い。かつてブログで紹介している。

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