水草清き所にさまよい歩きたいもの

徒然草』第二十一段の途中から、 
……月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ(※興趣を感ずる心をば起こさせるようだ)。岩に砕けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。「沅(げん)・湘(しょう)(※中唐の詩人)、日夜、東(ひんがし)に流れ去る。愁人のために止(とど)まること少時(しばらく)もせず」といへる詩を見侍(はんべ)りしこそ、あはれなりしか。嵆康(けいこう)(※竹林七賢の一人)も、「山沢(さんたく)に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ」と言へり。人遠く、水草清き所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。……(西尾実・安良岡康作校注、岩波文庫徒然草』p.49)


⦅写真は、東京台東区下町それぞれの民家の紫陽花 。小川匡夫氏(全日写連)撮影。コンパクトデジカメ使用。⦆