予言の自己成就

 ロバート・K・マートンの『社会理論と社会構造』(森東吾・森好夫・金沢実・中島竜太郎訳、みすず書房・1961年版)の第二部・Ⅺ「予言の自己成就」をひさしぶりに再読した。「予言の自己成就」説には、作田啓一氏が、「マートンの命題は科学的であるだけにとどまらず、美学的でもある」(作田啓一・井上俊編『命題コレクション社会学』の「預言の自己成就」筑摩書房)と述べたような、魅力が感じられる。
 W.I.トーマスの「もしひとが状況を真実であると決めれば、その状況は結果においても真実である」との公理に基づいて、「世間の人々の状況規定(予言または予測)がその状況の構成部分となり、かくしてその後における状況の発展に影響を与えるということである。これは人間界特有のことで、人間の手の加わらない自然界ではみられない」(p.384)という、社会学的命題を提起している。マートンは経験的事例をあげて論証している。1932年、旧ナショナル銀行で、預金の引き出し騒ぎが起こり、銀行の財政状態が健全であったにもかかわらず、「支払い不能」の噂が立ち、多くの人々がそれを信じるようになると、もはや引き出しの動きは止められず、短期間に、破産の予言が成就されてしまった。
 人種・民族差別問題、内集団による外集団の排斥の場合に、この過程がみられると指摘している。かつてアメリカの白人組合員たちは、黒人労働者は、罷業破りで「一般より低い賃銀でも仕事にありつこうとして殺到する」、つまり「労働者階級の裏切り者」であるとして遇していた。
—歴史は自己成就的予言の理論について自らテストする。黒人は、彼らが罷業破りだから排斥されているというより、彼らが組合から(そして多くの仕事からも)排斥されたために罷業破りとなったのである。このことは最近二、三〇年の間に彼らの組合加入が認められた産業にあっては、罷業破りとしての黒人が事実上なくなったことからも察知することができる。(p.386)
 マートンは、「制度的、行政的条件がよろしきを得れば、人種間の親和の経験が人種間の葛藤の危惧の念にとって代ることができるのである」(p.397)として、処方箋のための一般的ヒントも提示している。
 なお「これは人間界特有のことで、人間の手の加わらない自然界ではみられない」のであり、圧倒的多くの人々が「東海地震」といくら呪文のように唱えても、日本において、彼の地のみ地震のリスクが高くなるわけではないだろう。要諦は、個人も行政も「治に居て乱を忘れず」を肝に銘ずることだ。
  http://www.natureasia.com/japan/nature/special/nature_comment_041411.php(ロバート・ゲラー教授)
  http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/onShizushin060327.html (石橋克彦氏)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、上アルストロエメリア(Alstroemeria:アルストロメリア=百合水仙)、下エンジェルペラルゴニウム・ビオラ。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆