レッシング作、森鷗外&トランスレーション・マターズ訳『エミリア・ガロッティ╱折薔薇』観劇

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 10/21(土)すみだパークシアター倉(そう)にて、レッシング作、森鷗外&トランスレーション・マターズ訳『エミリア・ガロッティ╱折薔薇』を観劇した。この劇場は、JR錦糸町駅から徒歩15分ほどのところにあり、かつてテネシー・ウィリアムズの『男が死ぬ日』をここで観劇している。そのときは往路タクシーで行ったので、今回歩いてなかなかシアター入口に辿り着けなかった。レッシング原作の舞台を観るのは、1984年ディッセルドルフ劇場来日公演の『賢者ナータン』以来、2度目。森鷗外の翻訳をベースにして、貴族の話す台詞はそのままの雅文調、貴族との関係性が離れるほど現代チックなことばになっている。物語は単純で、ある夜会でアッピアーニ伯爵という結婚間近の婚約者がいる、美しいエミリア・ガロッティに一目惚れしたゴンザーガ公爵がみずからの愛人オルシーナ伯爵夫人を冷淡にあしらいながら、側近マリネッリ卿の謀りごとに万事を任せる。するとマリネッリは手下に命じて、アッピアーニ伯爵を暗殺してしまう。奪ったエミリアを取り返しに父オドアルド元大佐が駆けつけて、さて…という展開。
 舞台装置は、グリーンプロダクションコーデネーターの大島弘子によるもので、自然木材使用の体操競技平均台のような長い台をいくつか、場面ごとに出演者が動かしてセットする。出退場は能の上演形式を踏まえているかも知れない。要するにこれから幻の物語を始めます、そしてただいま幻の物語を終えました、という出退場であった。批評家で狂言回し役の画家コンティ(関根真帆)が達者で、この人が劇の進行役といったところか。
ゴンザーガ:コンティか。╱よく参った。╱近頃美術はどうじゃな?
コンティ:殿下!╱とにかく美術というやつは食い物ばかり探したがるやつであります。
ゴンザーガ:そりゃいかん。╱せめてこの狭い領域だけでは、そんなことではいかんぞ。╱しかし美術家のほうでも、随分精をを出さねばならんな。
コンティ:精を出すのはそれは楽しみではありまするが、╱あまり精を出しすぎると美術のひん(✼ママ)が下がり、╱名前も落ちまする。
ゴンザ=ガ:むやみにたくさん仕事をいたせとは言わん。╱少しのものを緻密にいたせと言うのじゃ。╱きょうは空手(からで)で来はすまいな。
 エミリアの婚約者アッピアーニ伯爵を女優の菊池夏野が演じていて、これは宝塚。娘エミリアを奪い返しにゴンコーザ公爵の館にやって来たオドアルドは、棄てられたオルシーナ伯爵夫人から短刀を渡される。それぞれの無念をともに晴らしてくれと。オドアルドは、ゴンコーザを殺そうとするが殺せずあしらわれてしまう。奥から出て来たエミリアは父の持つ短刀を取り上げて自分の胸に突き刺そうとするが、いったん止めたオドアルドは娘の絶望を思い計り刺して息絶えさせる。悲劇的終末かと思えば、暗転、フィルムを巻き戻すように、父の躊躇と思案の場面。結局ゴンザーガを殺せず、娘もそのまま。迎えに来た妻クラウディアとともに館を去って行く。喜劇的エンド。こちらが実際の結末らしいが、いやそれとてもお芝居の中の出来事でありまする、とコンティは言いたいのだろう。全体として洒落た舞台、左耳難聴のこちらとしては、右側2列目端から3番目の席でだいたい聴きとれた。不明なところは台本にてたしかめ、味わいを追体験したのであった。

 

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