虫明亜呂無のエッセイ集『むしろ幻想が明快なのである』(ちくま文庫)届く

 7/10発刊の虫明亜呂無エッセイ集『むしろ幻想が明快なのである』(ちくま文庫)が届いた。映画評論家の著作は映像作家としても高く評価されている松本俊夫のほかはほとんど読んでいないが、虫明亜呂無はかつて『女の足指と電話機』(清流出版)ですっかり魅了されて、生誕100年を記念したこのエッセイ・コレクションの上梓を待望していたのであった。さっそくⅠ女王と牢獄所収の最初のエッセイ「女王と牢獄」を読む。まさに慣用的に「滋味掬すべし」と言うほかない小品。
 1930年〜1940年代後半の二人の美しい少女をめぐる歴史の物語。パリで新聞社を経営する父の娘として生まれ、ブルゴーニュ地方に宏大な城館を持った貴族出身の祖母の下で夏休みを乗馬などで優雅に過ごし、王女様になることを夢みた美少女コリンヌ。やがてパリの舞台に立ち人気者となり、有名なシナリオ・ライター、アンリ・ジャンソンが書いた作品『格子なき牢獄』で映画デビュー、大当たりし、この一作で当時のフランスを代表するスターとなったのだ。
 もう一人の美少女シモーヌは、かつてルールの炭鉱で働き第一次世界大戦の結果廃坑となり、パリに流れ着いた貧しいドイツ系ユダヤ人で職工の父の娘として生まれた。シモーヌは「頑丈な体つきと、つよい意思を持った」少女だったが、「そのきれの鋭い目がなにかの折に」「不意に、力とうるいをたたえて、大きく見ひらかれると、別の人間に生れかわったように、美しい少女になった」。「金になる仕事はなんでもやった」彼女は、「お前はいつか王女様になれる」との父の言葉を励ましとして生きた。シモーヌが劇場の切符売りをしていたある時、人気絶頂のシナリオ・ライター、アンリ・ジャンソンに切符を渡した。彼はいま話題の映画を書いた男だと自己紹介して、「また会ってくれるかね? 王女様」と言った。このアンリ・ジャンソンの口利きで、シモーヌは大女優コリンヌの事務室で働くことになったのだ。
 さて第二次世界大戦が始まり、パリはドイツ・ナチスに占領された。コリンヌの前に若いドイツ人将校が現われた。ユダヤ人狩りが始まり、シモーヌナチス秘密警察の調べるところとなった。しかし、コリンヌはシモーヌの家の人たちとは祖母の代からの親類づきあいをしている間柄だと、シモーヌを庇いその命を救った。ところが、戦争が集結すると、コリンヌはドイツに協力したとの理由で投獄され、肺病で死んでいったのであった。
 

シモーヌ、がコリンヌの減刑を裁判所に請願しなかったのは、自分の良さを認めてくれたコリンヌへの尊敬からだった。彼女がコリンヌの救命行為を証したてれば、コリンヌの罪は減刑になるにちがいなかった。が、コリンヌはたとえ生きのびたとしても、シモーヌ減刑運動を一生心の負担にし、自尊心を傷つけられるだろうと考えた。
 彼女たちは互いに、相手の誇りを思ったのである。
 コリンヌはコリンヌ・ルュシェルである。シモーヌは後にイブ・モンタンと結婚した大女優シモーヌ・シニョレである。(p.19)

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