6/8(水)新国立劇場小劇場にて、フリードリヒ・デュレンマット作、小山ゆうな訳、五戸真理枝演出『貴婦人の来訪』を観劇した。ドイツ語圏スイスの劇作家フリードリヒ・デュレンマットのこの作品は、1956年1月チューリヒ劇場で初演大成功を収め、以後世界各地で上演されているとのこと(増本浩子神戸大学大学院教授のプログラム解説による)。物語の展開を語る(あるいは歌う)群衆=コロスを登場させ、ギリシア悲劇を思わせるが、それは形式のみで、運命に抗う英雄の没落の物語ではなく、かつて文化都市として栄えたギュレンの町でセコく恋人を裏切った男アルフレート・イル(相島一之)が、没落して破産寸前となったギュレンに何十年ぶりに大富豪となって戻ったその恋人だったクレール(秋山菜津子)に復讐されるお話。莫大な資金援助をして借金をチャラにしてあげる代わりに、自分を裏切った男=イルの不正(クレールの産んだ子は二人の間の子供ではないと偽証させ、そのためクレールは町を追われて娼婦となるほかなくなった)を正し処刑することを条件とした。「ヨーロッパ的ヒューマニズムに反する」そのような行為は、町長はじめ市民たちは断固拒否するが、次第にツケで贅沢な生活ができることに馴染んでしまい、ついに直接民主主義の集会で不正を糾弾し処刑の判断を下す。市民たちにとって、みな一様に黄色い色に染まった衣装・道具が身近なものとなってしまう。〈同調圧力〉!
そのかみ自分を侮蔑した町の住民たちがカネに翻弄され、暗黒の心を現わしていく過程を、クレールは残酷な笑みを浮かべて眺め楽しむ。その間夫も次々変えてしまう。このあたりコミカルな展開。牧師も魂の救いを語りながら、結局は市民たちの動きに案外かんたんに乗っかってしまう。最終的にイルは判決に従い、匿名的な集団の扼殺により処刑されるのである。亀田達也東京大学大学院教授の『世界の不安と「沈黙のらせん」』(上演プログラム)の解説する「沈黙のらせん」という沈黙の増幅がつくる〈正義〉によって、イルはなんとなく殺されてしまったということである。ミュージカル風のコロスの歌で幕とするのは、「悲劇的喜劇」に相応しい終わり方。不条理の怖さはそれほど感じなかったが、イル役相島一之の好演もあり、面白い舞台ではあった。ちょっとしたところでは、煙草を吸う場面、出てくるのは煙ではなくシャボン玉、だれもがふつうに演じていて笑わせる。あそび心が買える。
「殺されても、死なないわ」と歌いながら籠(?)で移動するクレールを演じる、円熟の秋山菜津子の魅力爆発の舞台であった。20年ほど前(2001年12月)、tpt制作、デヴィッド・ヘアー作(原作はシュニッツラーの『輪舞』)、デヴィッド・ルヴォー演出の『THE BLUE ROOM』(江東区ベニサン・ピットにて)で、出会う5組の男と女のすべてを内野聖陽と秋山菜津子が演じてじつに面白かった。そのときの妖艶な秋山菜津子を思い出したことだった。
新国立劇場前の花壇:紫陽花「コハン」