追悼・映画評論家佐藤忠男

natalie.mu

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⦅所蔵の1冊『現代日本映画』(評論社 1969年7月初版)⦆

 佐藤忠男氏の映画作品評は、観た映画の各プログラムでよく読んだものであり、大いに勉強になった。感謝、そして合掌。とくにいま注目したい批評文(の抜粋)をピックアップしておきたい。

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(テンギス・アブラーゼ監督『希望の樹』1977年 グルジア映画)

(冒頭)グルジアソビエト連邦の民族共和国のひとつだが、いまや民族主義運動の激しく燃えあがる地域のひとつになっている。

   とはいえ、そういう意識(✼前近代的な因習への抵抗ということ)は持たないで見てもこれは十分に美しい映画であり、風土と生活と民族的な伝統に対する愛着にあふれた好もしい佳品である。一面に花の咲き乱れる草原の丘と、そこに住む牧童たちの暮し、一見単純素朴な人々の楽園のようなこの土地に、意外に多彩な個性や思想を持った人々がおり、そのひとりひとりのキャラクターの面白さを愉しんでいるうちに、また再び、殆ど民話のような、あるいは神話のような単純で力強い骨子を持つ悲恋物語の中にひきずれ込まれてゆく。その単純さのうちにじつは複雑な深い想いがこめられているであろうことは以上に述べたとおりである。一見したところこれは愛すべき民族文化の一輪の花であるが、その民族的なるものへの愛着はまっすぐ、ソビエト連邦をゆるがす民族主義につらなっている。

 

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ウスマン・センベーヌ監督『チェド』1976年 セネガル映画)

 繰り返すが音楽がゾクゾクするほどいい。
 なお、この映画はセネガルでは上映禁止になっていた。イスラムキリスト教、土着宗教の均衡のうえに成り立っている現代のブラック・アフリカ国家としては、ひとつの宗教を批判するのは政治的に問題なのだろうか、しかしたぶん、自らの精神史の批判的考察において、センベーヌ・ウスマンにとって、これは避けられない道のひとつだったに違いない。