生(ナマ)吉葉山(八代目宮城野親方)を観ている

 http://exsumo.server-shared.com/yokozuna/yokoduna/43th-yoshibayama.html(「43代横綱吉葉山潤之輔」)
 http://www.renoveru.jp/showrooms/kuramae/blog/432(『相撲好きなら知っておきたい「蔵前国技館」の昔と今』)
 横綱としての成績はぱっとしなかった吉葉山(八代目宮城野親方)は、60年前の1958(昭和32)年の初場所で引退しているとのことだが、端正なマスクで、少年(幼年?)のころ好きであった。生の吉葉山を観たのは、2度ほどで、1度は家族で相撲見物した蔵前国技館の土俵で。相手が誰で勝敗はどうだったかなどは遠く忘却の彼方である。化粧回しだったか、取り回しだったか、緑色が目を引いたのを覚えている。
 もう一つの機会は、何名かの弟弟子を連れて、浅草本願寺裏のホルモン焼きの菊水道場に行く途中のところを、たまたまわが住まいの2階から目撃したこと。あるいはもっと先の浅草の映画館へ赴く途中だったかもしれないが、吉葉山はよく菊水道場で呑むことが多いと大人たちの話す声を耳にしていたので、菊水道場に行くのだと思い込んでそのまま遠い思い出としている。
 テレビの機械はアメリカ製のものがかなり早くから(チャンネルはNHK日本テレビのみ)家に入っていたので、相撲中継は永く観ていることになる。たしか宿敵鏡里は憎たらしく、これは現在の甲子園の高校野球応援にも繋がる、わが判官贔屓のメンタリティーのためらしい。
 なお都電の清島町(後松が谷1丁目)を下車したすぐの路地奥に割烹星菊水があったが、ホルモンの菊水道場とは関係なく、かの阿部定が事件後ここで仲居をしていた。何か闇の中に怖い存在がいるような、そんな想いで建物を眺めたことであった。