1/18(土)、1/25(土)2週にわたって放送されたNHKのドラマ『足尾から来た女』(作・池端俊作、演出・田中正)を視聴。あらすじ&キャスティングは以下の通り。
http://www.nhk.or.jp/dodra/ashio/html_ashio_story.html(「NHK『足尾から来た女』あらすじ」)
http://www.nhk.or.jp/dodra/ashio/html_ashio_cast.html(「NHK『足尾から来た女』おもな登場人物」)
なんといっても、足尾銅山からの鉱毒に苦しむ谷中村出身の女性新田サチが憑依したような、尾野真千子の熱演に魅力の源がある。昨年放送のNHKドラマ『夫婦善哉』の蝶子とはまた違った、たくましさをもった農村育ちの娘をじつにみごとに演じている。脇役陣も充実していて見応えがあった。
http://www.nhk.or.jp/dodra/meotozenzai/(「NHK『夫婦善哉』」)
原発事故の福島と重ねて観ることはできるが、反原発派が早合点するような展開にはなっていない。むろん近代化のために生活者を犠牲にしてきた国家の暴力性・残虐性を「よく見ろ、これが日本の現実だ」という、田中正造(柄本明)の言葉であきらかにしているが、反権力の運動に携わる側のエゴイズムや経済生活の軽視など、今日にも有効な相対化の視点を保っている。
「福島県産のものは毒だ」みたいなことを言っている人が「足尾から来た女」の感想で「今の福島と重なる」とか言っているのを見ると、やっぱりそういう感想を言うんだと思った。「足尾」のことも「福島」のことも、どこまで知っているの?と思った。ドラマとしてのレベルは高いけど、見終わって複雑。
— あふらん ソチオリンピックVer. (@pinwheel007) 2014, 1月 19
幸徳秋水や大杉栄も登場。サチがあかぎれの手で働いている時、酒を飲みながら「難しい話」をしている。実際の彼らがそうだったかどうかはわからないけれど、目の前にいるあかぎれの手の女には目を向けず天下国家の話をする彼らの姿こそ、原発事故後「福島」を語っている一部の人たちと、私は重なった。
— あふらん ソチオリンピックVer. (@pinwheel007) 2014, 1月 19
後半、車が電車の線路上でエンストを起こし、外に出ていて修復して車に戻ろうとした元足尾銅山副社長で「平民宰相」原敬(國村隼)の背中に、電車から福田英子(鈴木保奈美)とともに降りていたサチが、田中正造から貰った故郷の河原の石を投げつける。背中にあたった原敬は振り返ってサチを見つめ、黙って車に乗り込む。この場面は秀逸である。抑圧装置としての国家に人生を翻弄された女の悲しみと怒りが爆発し、いっぽうで欧米列強に遅れて近代化を推進しなければならない、支配する側の苦渋が示されていた。田中正造の思想とたたかいをもっと前面に出すとすれば、キリスト教との思想的関連に触れねばならず、脇役として徹底したのは間違っていない。
http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20130904/1378275764(「明治の柩」)
http://doors.doshisha.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=BD00009277&elmid=Body&lfname=002000370026.pdf
(「田中正造の聖書観」