大塚ひかり「嫉妬と階級の『源氏物語』」(新潮選書)を読む(1)

源氏物語』は嫉妬に貫かれた「大河ドラマ」という「はじめに」を読むと、もうこの本の魅力がわかろうというもの。2017年から刊行された新校注岩波文庫源氏物語』も、連れ合いの看護で中断したまま今日に至ってしまったが、来年の紫式部吉高由里子)を主人公としたNHK歴史大河ドラマ放送を機に、読書を再開したい。
 紫式部をめぐる系図が見開き2頁に掲載されているので、紫式部の身分上の位置が見通せて議論展開がわかりやすい。
源氏物語』桐壺帝のモデルとされる醍醐天皇の御代、天皇の妻には上から中宮(皇后の別名)→女御→更衣という序列があり(紫式部の時代=一条朝では更衣はすでに表立った存在ではなかった)、そのグレードは親の身分に規定されていた。醍醐の後宮紫式部の先祖がいるが、更衣桑子を入内させた紫式部の曽祖父・藤原兼輔中納言、女御の父・藤原定方は右大臣。女御和香子の父・藤原定国は大納言だが、醍醐の母方オジであることが有利に働いたらしい。紫式部の先祖はかなり上流に属していたのだ。その点で、一条天皇の皇后定子に使えていた清少納言と、同じ一条天皇中宮彰子に仕えていた紫式部とは出自の相違がある。しかし祖父の代には落ちぶれて、夫とも死別し、レイプされ「召人」(✼愛人)となって藤原道長とその娘彰子に仕えることになった紫式部には、「上衆(じょうず)めく」(✼お高くとまっている)ところと、共感力という天性の才能があったのである。 

 紫式部が、高貴な女主人に同じ人間としての苦しみを見るだけでなく、卑しい駕輿丁(かようちょう:❉天皇の御輿を担ぐ人)にすら自分を重ねるのは、先にも触れたように(❉p.25)、希有な共感能力ゆえだろう。見てきたように、彼女は、人ならぬ水鳥にさえ我が身を重ねていた。この「なりきり能力」があらゆる立場・身分の人物をリアルに描く『源氏物語』を生んだわけだが……。こうした感想が出てくるのは、それだけ自分が対等でない、人間扱いされていないという実感があったからだろう。プライドが高いからこそ、それに見合わぬ低い現状とのギャップが苦しいのである。(p.29)