ザクロの実が丸々としてきました。ペルシアから中国を経て日本へシルクロードに沿って伝わったそうです。その実が、ペルシアの安石国から伝わった瘤のような形をしているので、中国では「安石瘤」と表記されるそうで、「ザクロ(石榴)」という名はそれが変化したもの。#ザクロ #日比谷公園植物図鑑 https://t.co/hi05fxhmfu pic.twitter.com/Cn7B0o0uBh
— 都立日比谷公園(Hibiya Park, Tokyo) 園長の採れたて情報 (@ParksHibiya) 2022年9月2日
【2018年元旦のわがエッセイ「文学作品のなかの花」より】
▼昨年の暮。毎年剪定・手入れをしてもらっている植木屋さんに頼んで、作業のはじめに庭のざくろの木を伐採してしまった。枯れて傾き、裏の出入口を塞いで困っていたからだ。鮮やかな実をつけていたころの思い出は封印することにした。川端康成『掌の小説』の1篇、「ざくろ」では、出征する前にきみ子に会いにきた桂吉に母がざくろを出した。桂吉はざくろを二つに割ろうとして落として帰って行った。
母はそのざくろを台所で洗って来て、
「きみ子。」
と差し出した。
「いやよ、きたない。」
顔をしかめて、身をひいたが、ぱっと頬が熱くなると、きみ子はまごついて、素直に受け取った。
上の方の粒々を少し桂吉が齧ったらしかった。母がそこにいるので、きみ子は食べないと尚変だった。なにげない風に歯をあてた。ざくろの酸味が歯にしみた。それが腹の底にしみるような悲しいよろこびを、きみ子は感じた。
ざくろの実は、エロスと生命の象徴であろう。しかしわが庭のざくろのように、いつか枯れてしまうときがくるのも、たしかなことである。▼