ざくろの実

【2018年元旦のわがエッセイ「文学作品のなかの花」より】

▼昨年の暮。毎年剪定・手入れをしてもらっている植木屋さんに頼んで、作業のはじめに庭のざくろの木を伐採してしまった。枯れて傾き、裏の出入口を塞いで困っていたからだ。鮮やかな実をつけていたころの思い出は封印することにした。川端康成『掌の小説』の1篇、「ざくろ」では、出征する前にきみ子に会いにきた桂吉に母がざくろを出した。桂吉はざくろを二つに割ろうとして落として帰って行った。
 
 母はそのざくろを台所で洗って来て、
「きみ子。」
 と差し出した。
「いやよ、きたない。」
 顔をしかめて、身をひいたが、ぱっと頬が熱くなると、きみ子はまごついて、素直に受け取った。
 上の方の粒々を少し桂吉が齧ったらしかった。母がそこにいるので、きみ子は食べないと尚変だった。なにげない風に歯をあてた。ざくろの酸味が歯にしみた。それが腹の底にしみるような悲しいよろこびを、きみ子は感じた。

 ざくろの実は、エロスと生命の象徴であろう。しかしわが庭のざくろのように、いつか枯れてしまうときがくるのも、たしかなことである。▼