フランス第二帝政下の鉄道網建設

   渋沢篤太夫(栄一)一行は、ナポレオン3世支配の第二帝政下のパリに到着、万博会場で驚きの連続であったが、蒸気機関のパワーに度胆を抜かれてしまう。
 この時代のフランスの鉄道をめぐる事情はどうだったのか、こちらは鉄オタでもないので手元に文献などなく、以前面白く読んだ、鹿島茂氏の『怪帝ナポレオン三世』(講談社)の頁を捲ってみた。第5章「社会改革」の1に「鉄道戦争」がある。

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 イギリスやベルギーが1830年代に早くも鉄道網の建設に着手していたのに対し、フランスは鉄道の重要性が広く認識されたのは1840年代に入ってからで、きわめて遅かった。その理由として、1)ディリジャンスという大型乗合馬車とポストという郵便馬車の移動手段がフランス全土をカバーし、鉄道の必要性が感じられなかったこと、そして2)として、

……科学者たちが盛んに鉄道の危険性を言い立てていたことだ。トンネルに入ったら蒸気機関車の吐き出す煤煙によって乗客は窒息死するだろうとか、汽車のスピードが人体に好ましからざる影響を与えるとか、あるいは騒音と振動の影響で鉄道の周辺の地価が暴落するだろうとか、さまざまな鉄道反対の疑似科学的言説が考え出された。ヨーロッパの都市では、今日もなお鉄道駅は市外域の外れの寂しい場所にあるが、それはこうした言説の影響が尾を引いているからである。……(p.212)
 しかも、こうした言説が議会の政争に利用され、内閣が提出する鉄道網建設計画が中道左派から共和派までの野党共闘によって廃案に追い込まれる事態になってしまった。なるほど、原発やワクチンをめぐる現代日本の混迷を思わせる。