乙女と少女:本田和子(ますこ)さん追悼

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 昔たしかポーラ文化研究所主催の《顕わす╱隠す》をテーマにした連続公開セミナーで、講師本田和子(ますこ)お茶の水女子大学教授の「これは少女ではないー隠す性╱顕わす性」の講演を聴いたことがある。場所も日にちもはっきりとは記憶していないが、講演内容はメモしてある。断片的であり、想像力で再構成してまとめたい。
▼「少女」ということばは近代のものであり、つくられた「少女幻想」は、異性への愛を排除したエロス的愛の世界を形成している。そこでは実体としての少女が隠されてしまったのである。
「男」の対のことばとしてあった「乙女」は対から切り離されて、処女性が強調されることばとなった。平安時代においては、神の使者として異界から訪れる女の意味であった。江戸時代では「小女」ということばが使われた。明治になって、メディアによって「少年」に対して「少女」ということばが浮遊し、少女雑誌の刊行が盛んとなり、(少女たちが)投書を通して自分でプライベートな生活を作っていったのである。「野菊」とか「白萩」などのペンネームによって(少女たちの)ネットワークが形成されていき、フィクショナルな集団の中で少女時代を過ごせたのであった。▼