ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史(Sapiens)下巻』を読む(その2 )


 さてユヴァル・ノア・ハラリ著・柴田裕之訳『サピエンス全史(Sapiens)下巻』は、第4部「科学革命」第14章〜第20章が、下巻の内容のほとんど。人類がみずからの無知を自覚することによって、飽くなき探究心でこの外的世界を数学的ツールを使用した方法で精密に追求し、その活動と成果が帝国と融合して、ヨーロッパ世界が世界の権力の中心となり、そこでの科学の発展も支えられた歴史的経過、そして蓄積した財と富に溺れるのではなく、絶えず資金としてさらなる拡大のために投資し続けるという資本主義システムの成立がもたらした光と闇の領域についてなど、ときに愉快な比喩を交えて論を展開している。最後に、文明の爛熟がもたらすであろう未来への危惧も語っている。ハーヴァード大学のジョージ・チャーチ教授によれば、今や復元したネアンデルタール人のDNAをサピエンスの卵子に移植し、3万年ぶりにネアンデルタール人の子供を誕生させられるのだとのこと、ここのところにいちばん驚愕した。見てみたい気もするが、やはり許されることではないだろう。
◯近代科学は、最も重要な疑問に関して集団的無知を公に認めるという点で、無類の知識の伝統だ。ダーウィンは自分が「最後の生物学者」で、生命の謎をすべてすっきりと解決したなどとは、けっして主張しなかった。広範な科学研究を何世紀も重ねてきたにもかかわらず、生物学者は脳がどのようにして意識を生み出すかを依然として説明できないことを認めている。物理学者は何が原因でビッグバンが起こったかや、量子力学一般相対性理論の折り合いをどうつけるかがわからないことを認めている。……( p.61 )
◯つまり、科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることができる。イデオロギーは研究の費用を正当化する。それと引き換えに、イデオロギーは科学研究の優先順位に影響を及ぼし、発見された物事をどうするか決める。したがって、人類が他の数ある目的地ではなくアラモゴード(※1945年原爆実験に成功したニューメキシコ州の地名)と月に到達した経緯を理解するためには、物理学者や生物学者社会学者の業績を調べるだけでは足りない。物理学や生物学、社会学を形作り、将来の方向に進ませ、別の方向を無視させたイデオロギーと政治と経済の力も、考慮に入れなくてはならないのだ。……( p.89 )
◯近代科学とヨーロッパの帝国主義との歴史的絆を作り上げたのは何だろう?テクノロジーは十九世紀と二〇世紀には重要な要因だったが、近代前期にはそこまでの重要性はなかった。主な要因は、植物を求める植物学者と、植民地を求める海軍士官が、似たような考え方を持っていたことだ。科学者も征服者も無知を認めるところから出発した。両者は、「外の世界がどうなっているか見当もつかない」と口を揃えて言った。両者とも、外に出て行って新たな発見をせずにはいられなかった。そして、そうすることで獲得した新しい知識によって世界を制するという願望を持っていたのだ。……( p.100 )
◯一九〇八年以降、とりわけ一九四五年以降は、資本主義者の強欲ぶりには多少歯止めがかかった。それは共産主義への恐怖によるところが大きかった。だが不平等は依然としてはびこっている。二〇一四年の経済のパイは、一五〇〇年のものよりはるかに大きいが、その分配はあまりに不公平で、アフリカの農民やインドネシアの労働者が一日身を粉にして働いても、手にする食料は五〇〇年前の祖先よりも少ない。農業革命とまったく同じように、近代経済の成長も大がかりな詐欺だった、ということになりかねない。人類とグローバル経済は発展し続けるだろうが、さらに多くの人びとが飢えと貧困に喘ぎながら生きていくことになるかもしれない。……( p.161 )
◯消費主義と国民主義は、相当な努力を払って、何百万もの見知らぬ人々が自分と同じコミュニティに帰属し、みなが同じ過去、同じ利益、同じ未来を共有していると、私たちに想像させようとしている。それは嘘ではなく、想像だ。貨幣や有限責任会社、人権と同じように、国民と消費者部族も共同主観的現実と言える。どちらも集合的想像の中にしか存在しないが、その力は絶大だ。何千万ものドイツ人がドイツ国民の存在を信じ、ドイツ国民の象徴を目にして高揚し、ドイツ国民神話を繰り返し語り、ドイツ国民のために資産や時間、労力を惜しまず提供しているかぎり、ドイツは今後も、世界屈指の強国であり続けるだろう。……( p.198 )
◯歴史書のほとんどは、偉大な思想家の考えや、戦士たちの勇敢さ、聖人たちの慈愛に満ちた行ない、芸術家の創造性に注目する。彼らには、社会構造の形成と解体、帝国の勃興と滅亡、テクノロジーの発見と伝播についても、語るべきことが多々ある。だが彼らは、それらが各人の幸せや苦しみにどのような影響を与えたのかについては、何一つ言及していない。これは、人類の歴史理解にとって最大の欠落と言える。私たちは、この欠落を埋める努力を始めるべきだろう。……( p.240 )