国立劇場開場55周年記念通し狂言『伊勢音頭恋寝刃』観劇 

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 10/6(水)は、国立劇場開場55周年記念通し狂言近松徳三作『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』を観てきた。昔母のお供ではじめ歌舞伎座、後に国立劇場大劇場に歌舞伎見物でたびたび訪れている。傑作だったのは、国立劇場前でタクシーを降りると、母がチケット(入場券)を忘れていて、すぐ公衆電話から自宅に電話をすれば何とトンカツ屋さんにかけていた。電話番号が似ていて間違えたのだった。留守中の弟に連絡がつき、タクシーでチケットを届けてくれた。母も弟もすでに黄泉の人であるが、いちばんの思い出である。
 正午開演、序幕と二幕目の幕間に昼食休憩があり、予約で2Fの和食レストランでヒレカツ定食をいただいた。
 序幕第一場「伊勢街道相(あい)の山の場」は華やかで、いかにも歌舞伎の舞台の賑々しさがある。女藝人お玉(中村梅乃)とお杉(中村蝶紫)のやりとりも可愛らしく、すぐに引き込まれる。「つっころばし(柔弱で滑稽味を帯びた色男の役柄)」の今田万次郎(中村扇雀成駒家)が、主君の命で探し当てた名刀「青江下坂」を遊蕩の支払いに窮して質入れ、相手の町人が出奔して失い、そしてこの場で、謀反を企む蜂須賀大学一派の一芝居に騙され、折紙(おりかみ:刀の鑑定書)まで偽物とすり替えられてしまう。第二場「妙見町宿屋の場」で、伊勢の御師(おんし:参拝者に宿を提供して祈祷や神楽を執行し、諸国にお札や暦を届けた神職)である福岡貢(中村梅玉高砂屋)が登場、ここで後から登場の万次郎の持つ折紙が偽物であることが発覚。福岡貢は、伊勢の神領を統括する長官の藤浪左膳(中村又五郎播磨屋)から、「青江下坂」の詮議を頼まれる。阿波国の家老今田九郎右衛門は、左膳の妹を妻としその子が万次郎、福岡貢の父は今田家の家来であったのだ。「青江下坂」紛失の責により家老の失脚を企む蜂須賀大学一味の陰謀が明らかとなった。
 第三場「野道追駆けの場」と第四場「野原地蔵前の場」は、万次郎の従者奴林平(中村萬太郎萬屋)が、蜂須賀大学の家老失脚を企んでの「青江下坂」奪取を指示した家来徳島岩次宛の密書を、一味の二人を追って取り上げるまでのコミカルな動きと展開。花道に割合近い席であったので、林平の(ナンバ歩きの延長としての)走りの美学がしっかり観られてよかった。第五場「二見ヶ浦の場」で、林平が密書を奪い、福岡貢が万次郎、捕らえた二人を交えた未明の暗闇の中での「だんまり」を経て、夫婦岩の注連縄の向こうに昇った朝日の光で、密書の宛名をしかと確認。昔二見ヶ浦夫婦岩は見物したこともあって、この仕掛けに感動した。
           (幕間)
 二幕目第一場「古市油屋店先の場」。油屋は古市の遊廓。ここでは、福岡貢と仲居の万野(中村時蔵萬屋)との対決が最初の見せ場。万野はじつは蜂須賀大学一味と通じていて、貢を慕うお鹿(中村歌昇播磨屋)から金を借りていながら貢が手紙に応じないのは不実で冷酷と詰るが、貢には覚えのないこと。その座敷に後から来ていた藍玉屋北六実ハ徳島岩次と徳島岩次実ハ藍玉屋北六と入れ替わっている、大学一味の二人が合わせて貢を「伊勢乞食」と口汚く罵る。謀のためとのことだが、二人は何でわざわざ入れ替わって同じ場で酒を呑んでいるのかわからない。なお、台本で貢がお鹿に無心を依頼したという証拠の書付を手箱の中から探す件、『エエ、当る十月歌舞伎公演「通し狂言 伊勢音頭恋寝刃」、これは国立劇場の番付じゃわいなア……』とあるが、笑いが聞こえてこなかったので実際には台詞に言ってなかったのかもしれない。歌舞伎にはこういう洒落はあるもので、愉快であるが。
 次の見せ場が、貢と恋仲のお紺との恋のもつれ。お紺は貢の不実を責め、貢は悔しさに身を震わせつつ油屋を去るが、その際岩次がすり替えたものを料理人喜助(中村又五郎)が再びすり替えた「青江下坂」を差していた。お紺に身請けを提案する北六に対して、お紺は袱紗包みに他の女からの起請文を隠しているだろうと迫り、北六は安心しきって袱紗包みをお紺に渡す。お紺は貢のために折紙を手に入れたのだ。お紺は貢を心から慕っていたのだ。
 さていよいよ最後の見せ場。万野が貢の刀を持って来て岩次に差し出すと、これはすり替えた偽物と。万野は、下坂を取り戻そうと貢を追う。さてはすり替えられていたのかと貢が店に戻り、混乱。お紺が折紙を貢に渡し、偽物の刀と信じ、名刀いや妖刀「青江下坂」に導かれながら、福岡貢は、万野、北六、お鹿、岩次を次々に斬りつける。所作も、刀を道具にしてというより、刀の方が貢を動かして斬りかかる、といった感じである。第二場「古市油屋奥庭の場」で、お紺の登場で正気に戻った返り血を浴びた貢が切腹しようするところに喜助が現われ、手にしている刀こそ「青江下坂」だと告げられ、折紙と「青江下坂」が揃い喜びの大団円となった。
 上演筋書掲載、神山彰明治大学名誉教授の『「伊勢音頭」の東西』によれば、「ぴんとこな」という定義の難しい役柄があって、「単純な錯覚、理性を失った逆上」、合理的には理解不能で一貫性がない、不思議な役柄、福岡貢こそそれにあたるとのこと。 

 中村梅玉の貢は、国立劇場では6年前にも演じている。上方の名跡を襲って以来、『忠臣連理の鉢植』(植木屋)や『小さん金五郎』など、多彩な上方狂言も演じてきた積み重ねがあり、「ぴんとこな」らしい柔らかみと硬質な芸質との不思議な融合が感じられた。