「毛」をめぐって:りんと弴

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 宇佐見りんの『推し、燃ゆ』(河出書房新社)に、深夜「ふと目が覚めてトイレに向かうと」母と姉のひかりが、姉がどう教えても勉強がまったくできず、何をやっても上手くできない妹のあかり=自分のことを居間で話しているのが聞こえた。ここのところが〈覗き〉の愉楽も味わえて抜群に面白い。

 いつの間にか、姿の見えない母の声に耳をそばだてていた。最後に、ごめんね、と謝るのがはっきり聞こえた。
「ごめんね、あかりのこと。負担かけて」
 足の爪が伸びている。親指から、剃ったはずの毛が飛び出ている。どうして、切っても、抜いても、伸びてくるのだろう。鬱陶しかった。
「仕方ないよ」姉はぽつりと言った。
「あかりは何にも、できないんだから」
 わざと、居間に入った。廊下のぼんやりとした暗さが嘘のように明るく、テレビや、母の買った観葉植物や、低いテーブルにあるコップの輪郭が急にはっきりとした。姉は顔を上げない。母がひらき直ったように「洗濯物持っていきな」と言った。
 無視をした。ずんずん進み、ティッシュを一枚引き抜き、棚の一番下の引き出しから爪切りを出す。切る。音が鳴る。足の爪は四角いので切りづらく、いつも肉を挟んだ。母が何か言う。肉に埋まったそれを、爪切りの先で抉り出すようにして、また切る。爪のかけらが飛ぶ。ぜんぶ切ってしまうと、指から生えた毛が気になり、毛抜きがすでに使われていることに気がついた。(pp.58〜59)

 この「毛」の話で思い浮かべたのが、里見弴の短篇「毛小棒大(もうしょうぼうだい)」。この作品の「毛」については、夏目漱石の『門』と併せて、歯科治療の話としてかつてブログでとり上げている(2013年9/12)。「毛小棒大」のところだけ再掲。

▼もう一つに、里見弴の短篇「毛小棒大(もうしょうぼうだい)」がある。58歳になる不動産屋北村良介所有のビル内に診療所を設けている、アメリカ帰りの歯科医保科欣造が、妻に先立たれた北村に対し、30以上も年下の吉川栄子という愛人と正式に結婚に至らせる話の展開。そのきっかけとなるのが、たまたま歯の治療に訪れた吉川栄子の歯に引っかかっていた1本の男性(北村良介)の白髪の発見であった。隠されたエロティシズムが如何様にも想像されて、面白い作品である。
……(※助手と)入れ変って、内側、外側、よく調べながら、「腫れてもいないし、……いつ頃から痛みだしたの? ……今朝?」
 首を横に振った。
「昨日あたり?」
 頷いた。
「ふーん」
 その、小臼歯の周りを、消息子(しょうそくし)で、あちこち索(さぐ)っているうちに、何か、灰色の、細いものが、ちょこっと頭を出した。ピンセットで抜き取ると、ほんの三四分ばかりのものだった。そろそろ近視へ遠視も並発してくる年齢で、細かいものは、眼鏡を持ちあげて見る方がよかった。——そうしながら、ふた足み足窓際へ歩みよって、
「魚の小骨らしい。なんか、鯵(あじ)かなんか、小魚を食べたね?」
 含嗽(うがい)をしていて、別に返事はなかった。
 そのまま捨てかけたが、ふと、左の指先で摘まみ、折るようにすると、いくらでも撓(しな)う弾力性があった。「おや? こりゃア骨じゃアない。毛らしい。……歯ブラシの毛かな?」
 丁度、手近に顕微鏡のオペクト・グラスがあったので、それへなすりつけて置いて、
「どう? 癒(なお)ったでしょう?」……⦅「毛小棒大」『里見とん短篇選集』(中公文庫)所収⦆
 この後保科医師は顕微鏡で、件のものが「太く逞しい男性の白髪」であることを突き止めるのだ。
 解説の小谷野敦氏は、この作品は「虚構だろうが、里見の作品には、こういう色気のあるものが多い。自然主義的な暴露趣味と、鏡花譲りの文章の藝とが混じり合っている」と述べている。
 ※(歯科用)消息子:歯瘻、その他の小さい開口部から挿入して、その中の状態を調べるための医療器具。

 

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