如月小春没後20年

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 演出家如月小春が亡くなったのが、2000年12/19なので、今年は没後20年ということになる。この演出家の舞台は、じつは一度しか観ていない。この公演も最後までは観ていない。というのも、前日歯科医院で難儀な親不知を長時間かけて抜歯してもらい、当日は朝から体調悪く職場でもフラフラしていたのであった。夕方江東区新大橋の後のベニサン・ピット、倉庫の芝居小屋スタジオ200にて、1983年3月、前月旗揚げしたばかりの如月小春主宰NOISEの公演『DOOL』を、床に直に坐る方式ですし詰め状態で観劇、幕間なしでとうとう気分が悪くなり眩暈もしてきた。暗転したタイミングで後方に退席、スタッフに抱えられるようにして室外に出た。この時のみの観劇の機会であった。
 その後如月小春の名を聞くと、「これは厄介な親不知ですな」と言って歯医者さんが悪戦苦闘し、翌日体調を崩したことのみ思い出すのである。
如月小春を甦らせる」と謳ったシンポジウム『封鎖都市と演劇身体』の企画は、たかが演劇をめぐっていかにもポリコレ的で大そうな企画である。企画・司会進行の吉見俊哉氏は、メディア社会学・都市社会学の著名な社会学者であるが、かつて、今年2月逝去した遠藤啄郎代表の仮面劇の「横浜ボートシアター」に所属していたことがある、屈指の演劇通でもある。反権力的立場に立ち、「愛知万博」の折には鋭い批評を表明して関わっていたのが印象的であった。

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