劇作家・評論家 山崎正和氏の逝去を悼む

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 山崎正和氏の作品では、末木利文演出の『世阿彌』を、1988年12月銀座セゾン劇場で観ている。若き熊谷真実が舞台で裸身を晒し、興奮したのを覚えている。世阿彌を演じたのは9代目松本幸四郎(現2代目白鸚)。

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f:id:simmel20:20200821154652j:plain(写真撮影:篠原邦博)
 
著書では、『近代の擁護』(PHP研究所)がよかった。清水幾太郎ヨハン・ホイジンガ、ヘルベルト・マルクーゼ、ジャン・ボードリアール、ミヒャエル・エンデなどの著作の影響で、遊びと余暇に重点を置いた反近代の文明論が主流の思潮になっていたとき、冷や水を浴びせるように、プロとしての規律のある労働の再編成を訴えた、山崎正和氏の主張は今日その正当性が明らかとなりつつある。知的覚醒を促してくれた山崎正和氏に感謝し、ご冥福を祈りたい。

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――印象に残っている論壇人、文化人との交流をあげるとするならば、いかがでしょうか。

東 そうですね……。今思いついたのは、評論家の山崎正和さんのことです。20年以上前にサントリー学芸賞を取ったあと、何度かお会いしたことがあります。その頃の山崎先生はまだお元気で、「君はデリダというのをやっているんだって?」と尋ねられた。まだ若かったぼくが「はい。デリダはこうでこうで」と説明したら、たしかヘーゲルだと思うんだけど、「それはつまりヘーゲルの言葉で言うとこういうこと?」みたいにぱっと翻訳されたんですね。それはとても正しい要約で、率直にすごいと思いました。ヘーゲルやカントを読んでいる人は哲学の軸がしっかりしていて、ポストモダンの思想が来ても自分の言葉で翻訳できる。それに対してぼくやそれ以下の世代は、「交通」とか「他者」とか「差異」とか、新しい言葉を上滑りさせていてダメだなと。昔の人たちの教養はいいものだと思いましたね。