古今亭志ん生の「貧乏体験から生み出されたくすぐりのオンパレード」としてのこの噺を、志らくは、「志ん生の貧乏の世界から脱却して漫画的なナンセンスな世界」に作り上げようとしている。古いギャグの挿入を変えていないのは、いちおう自分なりに完成させた作品との自負のためだろう。ともあれ愉しい。
噺の根底に貧乏がある場合は「火焔太鼓」に限らず、現代においては貧乏は親近感のないものなのだから、違った視点で描いていかなければ、先人達の作品を凌ぐ事は難しいと言わざるをえない。(『全身落語家読本』新潮選書)
それにしても昨今の評価される映画は、どうして多く貧乏を描くのであろうか。あまり観る気がしない。