エッセイ「瞳は鏡」(H18年『花粉期』歳旦譜)再掲

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WOWOWで放映中の『CSIマイアミ』という連続ドラマ番組を毎回面白く観ている。これは、アメリカのフロリダ州マイアミで起こる凶悪犯罪を、郡警察の科学捜査班が、最新の科学捜査で解決していく物語である。マイアミは海からの密入国者も多く、全米でも屈指の犯罪多発地帯だそうで、言語も英語とスペイン語のほか雑多である。
 捜査班を指揮する、ホレイショという人物がとても魅力的だ。母を犯罪で殺された過去をもち、犯人追跡中死んだ弟の美しい妻で、刑事として一緒に仕事をしているイェリーナ・サラスに秘められた慕情をもっている。犯罪者の追及には容赦がない。しかし被害にあったひとへの控えめに見せるやさしさには、感動させられる。
 死んだ弟は、実は麻薬捜査の過程で売人の愛人と恋仲になり、子どもまでできていた。ホレイショ警部補は、イェリーナにこのことを告げておらず、毎月密かにこの子の養育費を女に送っているのだった。難事件にともに取り組むとき、時おりイェリーナは、義兄の俯きがちの顔の表情を読みとろうとする。そのときのイェリーナの長い髪に覆われそうな瞳も、深い湖のような謎を秘めていて、ゾクッとさせられる。
 シリーズ3の「愛の奴隷」という回で、興味深い話があった。
 歩道でバス待ちだった女が突然路上に飛び出して、大型車にはねられる事件が起こった。最初は自殺とみられたが、並んで待っている背後から突き飛ばされたらしいとの疑いが濃厚になってきた。この女には恋人がいたのだが、男のほうで出世話があり、別れたがっていた形跡がある。その男のためならば人も殺しかねない愛人の存在も浮かび上がってきた。しかし、目撃者もおらず捜査は行き詰まりそうだった。そのとき、バス待ちの道路の向かい側に立たせて仲間たちの写真を撮っていた、マイアミ旅行者のひとりがいたことがわかった。ここで最新の科学捜査の方法が紹介されるのである。
 その写真から旅行者のひとりの女性の瞳を大きく拡大すると、なんと、死んだ女性の背中を押している、容疑者の女の伸ばされた腕が見事に映されていたのである。これが動かぬ証拠となって、その女は逮捕される。この連続ドラマは各回とも現代科学捜査の進歩に驚かされるが、この回の場合は特別感動した。瞳に映される情景というロマンティックな〈出来事〉が、ここでは、犯人逮捕という冷徹な結果を生む現象として扱われていたからである。
 瞳が鏡でもあることは、小説の描写ですでに知らされていることである。フローベールの『ボヴァリー夫人』では、〈後家さん〉の妻に死なれたシャルル・ボヴァリー医師が、新しく農家の美しい娘エマと再婚して、それまで味わったことのない幸福を感じる。さて新婚のベッドでは、
「こんなに近くで見ると妻の目は、目をさましてパチパチまばたきするときなどとりわけ大きく見える。影になると黒っぽく、明るいところでは濃い青に、つぎつぎに色の層のようになって、奥のほうはあくまで濃く、エナメルのような表面にいくにつれて色うすれている。シャルルの目はこの色の深みのなかに吸いこまれて、自分が、頭にまきつけた薄絹も胸をはだけた寝間着ももろともにぐんと小さくなってそこに映って見えた。」(生島遼一訳・新潮世界文学9『フローベール』より)
 結婚にすぐにも醒めてしまった美貌の若妻に呑み込まれている男の状況が、実に的確に捉えられている。鏡とは残酷なものでもあるのだ。 
「僕は彼女の瞳を見た。その重い一重瞼のなかには動物的な暗さが立ちこめていた」と、同じアパートに住む娼婦を観察した主人公が、立てかけのガラスが「偶然の鏡」となって、そこに映された自分の「眼のあたりが暗い空洞」であることを知らされてしまう、という描写は、椎名麟三の『深夜の酒宴』にあるものである。
 この作品発表から六十年近くの時が経っている。日本全体が、テレビドラマのなかのマイアミのような環境になってきているのかもしれない。
 しかし依然として男と女は、互いにとって謎の関係であることには変わりがなく、謎の解を求めて、相手の瞳の奥を覗き込もうとするにちがいない。
               (「花粉期・平成十八年歳旦譜」より)