ノートルダム大聖堂の司祭いわく聖堂の聖遺物と芸術品は全て無事 https://t.co/1xzhF60PaL
— フクロウの憂鬱(16世紀≠中世教/教徒) (@komakikiti) April 15, 2019
パリのノートルダム大聖堂は、昔一度だけ旅して眺め、かつ中にも入っている。人並みに壮観さに圧倒された記憶はある。
ヴィクトル・ユゴーの原作を高橋睦郎が脚色した、蜷川幸雄演出の『ノートルダム・ド・パリ』の舞台を、1979年5月日生劇場にて観ている。せむしの鐘つき男カジモド=若山富三郎、妖美なジプシー娘エスメラルダ=浅丘ルリ子、エスメラルダへの欲情抑えられない僧正=菅野忠彦、国王=田中明夫というキャスティングであった。また観たい蜷川作品の一つ。
一昨年亡くなったフランス文学者の篠沢秀夫氏は、公演プログラムで、ユゴーの原作『ノートルダム・ド・パリ』の道具立てには、ロマンティックな要素がすべて現われているとし、コントラストの激しさと、「よくよく見ればわが子なり」という「見あらわし」まで含む波乱万丈の筋立ての二つがそれにあたると書いている。
けれど何より特徴的なのは、中世への好みです。ノートル・ダムとは、“われらの貴婦人”の意味で、聖母マリアを指します。各地に聖母マリアに捧げられた大教会があり、それを“どこどこのノートル・ダム”というわけです。パリのノートル・ダムは1163年に起工、1245年に一応完成した、代表的なゴチック式寺院で、今日でもパリ大司教の司祭する教会として機能しています。この作品はノートル・ダムを凝視して生まれて来た幻想ともいえ、ユゴーの幻視詩人としての資質をよく示しています。( p.29 )