論理思考と「正解のコモディティ(商品)化」

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 美術・美術史に精通している、イノベーション・組織開発が専門の山口周氏の『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)は、刺激的で面白い。『グローバル企業が世界的に著名なアートスクールに幹部候補生を送り込む、あるいはニューヨークやロンドンの知的専門職が、早朝のギャラリートークに参加するのは、虚仮威(こけおど)しの教養を身につけるためではありません。彼らは極めて功利的な目的のために「美意識」を鍛えている』との、先進諸国のエリートに期待される能力の深化に注意を促している。理性に基づく論理的分析能力だけでは「複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない」との時代認識が基底にあるとのことである。感性と美意識がものごとの判断と決定に重きをなしてきているということである。その背景として、著者は序論で三つの大きな変化を指摘している。

❶論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある

❷世界中の市場が「自己実現的消費」へ向かいつつある

❸システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している

 ❶に関して、単純な文科系人間が得たりと悦びそうであるが、あくまでも論理的思考と分析あっての直感であり、前論理的思考ではなく、超論理的思考の可能性について著者は考察しているのである。2009年9月に発足した鳩山由紀夫総理・菅直人副総理の内閣について、理数系頭脳の政権の誕生として絶賛していた、理数系コンプレックス丸出しの人もいたが、こういう人はその一見逆の❶の捉え方にもすぐ乗ってきそうである。

 さて❶の要因について、二つあり、「正解のコモディティ化」と分析的・論理的な情報処理スキルの「方法論としての限界」ということである。この「正解のコモディティ化」の議論には、知的刺激を受けた。

 論理思考というのは「正解を出す技術」です。私たちは、物心ついた頃から、この「正解を出す技術」を鍛えられてきているわけですが、このような教育があまねく行き渡ったことによって発生しているのは、多くの人が正解に至る世界における「正解のコモディテイ化」という問題です。教育の成果という点では、まことにご同慶の至りという他ありませんが、個人の知的戦闘能力という点ではこれは大きな問題となります。

 なぜなら、過剰に供給されるものには価値がないからです。経済学では、「財の価値」は、需給バランスによって決まることになります。「正解を出せる人」が少なかった時代には、「正解」には高い値札がつけられましたが、これほどまでに「論理思考」などの「正解を出せる技術」を普遍化した結果、今や「正解」は量販店で特売される安物、つまり「コモディティ」に成り下がってしまったわけです。( p.49 )