算額の話


 東大寺では個人的には、大仏下の大きな花挿しの8本脚の蝶の彫像のほうに関心があるが、それはそれとして、算額についても思い起こすことがある。昔初めて勤務した職場(都立白鴎高校定時制)で同僚の数学の教師(後に前橋市立工業短大教授)、亡き下平和夫さんが日本数学史の知られた研究家で、著書の『日本人の数学』(河出書房新社)を所蔵している。和算および算額についてレクチュアを受けることもあったが、そこに算額についてもとうぜん書いてある。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20170323/1490195756(「八本脚の蝶:東大寺大仏殿:2017年3/23 」)

『算法勿憚改(さんぽうふつだんかい)』(※村瀬所左衛門義益・寛文13年刊)によれば、寛文年間には算額の奉納も盛んであったらしい。この数学書の第五巻に「目黒の好みと」して、
「ある人が江戸の目黒不動に参詣したら、数学の額がかけてあったとして、その問題を写しとって見せてくれた。次にその問題を書く」とあって、さして難問ではないが紹介されている。さらにこの数学絵馬奉納の風習が広まったことに対する批評が続いている。すなわち、「あちらこちらの神社に数学の絵馬を奉納するようになってきたが、絵馬であるならば諸願成就という神様にお願いする文があるはずであるのに、そういう願文がない額が多い。数学ができることを自慢するための見せびらかしであろうか。どうも納得がいかない。湯島の天神のやしろに、子供の手習いがよくはられている。古語や詩歌の習字だが、お師匠さんが、上手に字が書けたといってほめてはらせたものだろう。数学の絵馬もそういう意味なら理解できるが、どんなわけで掲額するのだろうか。」
 こう書かれている。これが算額に関するいちばん古い記録であるが、関孝和もきっと算額奉納の流行の中にあって、数学を勉強する意欲に燃えたことであろう。
(p.84 )