「体験」を語るということ

 糸井重里さんのTwitterで、丸山眞男と広島被爆体験のことに関して、石戸諭氏の下記記事を知った。
 https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/maruyama-1945?utm_term=.ytn0ZYQ3R#.ae0kVQ823
 (「当事者だから語れない…… ある学者がどうしても言葉にできなかった原爆体験」)
 感銘を受けたのは、以下のところ。
……丸山は平和を語りながら、なぜ原爆に言及しないのかという広島市在住の開業医からの質問に、手紙でこう答えている(『IPSHU研究報告シリーズ25 丸山眞男と広島』より)。

小生は「体験」をストレートに出したり、ふりまわすような日本的風土(ナルシシズム!)は大きらいです。原爆体験が重ければ重いほどそうです。もし私の文章からその意識的抑制を感じとっていただなければ、あなたにとって縁なき衆生とおぼしめし下さい。
なお、私だけでなく、被爆者はヒロシマを訪れることさえ避けます。(中略)被爆者ヅラをするのがいやで、今もって原爆手帖の交付も申請もしていません。

 一市民を相手にかなり激しい言葉で綴っている。ここから読み解けるのは、原爆を語らなかったのではなく、意識的に語らなかったということだ。
 被爆体験、と呼ばなかった理由もここから読み解ける。自分を「被爆者」だと言えなかったのだ。……
 今年4/17亡くなった映像作家の松本俊夫氏が、アラン・レネ監督、マルグリット・デュラス脚本、日仏合作映画『二十四時間の情事』(Hiroshima mon amour :ヒロシマ・モナムール)について考察した批評文⦅「追体験の主体的意味―『二十四時間の情事』について」(『映像の発見』三一書房所収)⦆を再録しておきたい。
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20170217/1487298651(《「見る」ということ:映画『二十四時間の情事』から:2017年2/17 》)
◆ 冒頭、広島のある場所で抱き合うフランス人の女(エマニュエル・リヴァ)と日本人の男(岡田英次)の会話。女が「わたしは病院も見た、博物館も見た、ニュース映画も見た」と言い、ヒロシマの惨劇を「事実」としてとらえた映像も何もかも見たと語ると、男は、「君は何も見ていない」と繰り返す。ここのシーンは音声とともに印象が鮮烈である。
 松本は、『女は、ヒロシマというものを、たんに「見えるもの」の累積としてしかとらえていないし、それもヒロシマを自分の「外側」に、同情と恐怖の対象としてしか見ていない。男が「君は何も見ていない」というのはそのためである』としている。女は、己にとってのヒロシマの「意味」を見ていないのである。
 彼女は、かつてフランスのヌベールで戦争中に恋人と死別している。無時間の「錯乱」のなかで、「いま・ここ」のヒロシマでの恋・恋人とその体験とが重なり合うとき、初めてヒロシマの「意味」が見えてくるのである。
……こうして女はヒロシマヒロシマでの恋の記憶をよみがえらせてゆく。そこには彼女が忘れようとして忘れることができずにいた彼女の決定的な戦争体験、つまり彼女の初恋の男の死、しかもごく一般的なそれではなく、きわめて反祖国的で破廉恥なものとして糾弾されたそれがあるのである。そしてその体験の直接性をより対自的なものにしてゆくのである。むろんそのことは、それがヒロシマの「いま・ここ」との関連で可能となってゆくのであり、その意味で、それは同時に「彼女にとってのヒロシマの意味」を変質させることにもなるのである。つまりヌベールはヒロシマという鏡によってその意味をとらえかえされ、そのようにしてとらえかえされたヌベールを鏡として、ヒロシマもまたその意味をとらえかえされてゆく。そのような弁証法を通して、ここにはじめて、ヒロシマのなかにヌベールを見、ヌベールのなかにヒロシマを見る意識が生まれてくるのである。これは明らかに、冒頭のシーンで彼女が「ヒロシマを見た」といった、その意識のレベルとは質的にちがったものとなっている。一言にしていえば、彼女は自分自身の戦争体験をかいくぐって、その「内側」にヒロシマの「意味」を見いだしてゆくのである。……( pp134~135 )