異端児と開成運動会

(写真:キッチンミノル)
アエラ』8/15号の「現代の肖像」で、建築家の田野倉徹也氏が紹介されている(文:大平誠)。山下和美のエッセイコミック『数寄です!』(集英社)に出てくる蔵田徹也のモデルの建築家である。この作品については、わがブログですでに取り上げていて、伝え聞くところでは、某書店の本の宣伝・紹介にこのブログ記事の文章が使用されていたとのこと、嬉しいことではあった。 
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20150710/1436512724(「数寄者(すきしゃ)の世界:2015年7/10 」)
 田野倉氏は、東京大学工学部建築科在学中は、『東京の「地霊」』などで素人にも知られる建築史の故鈴木博之教授に師事したそうで、鈴木教授から「茶室やってみない」と声をかけられたとのこと。卒業後、淡路島に三つの実験的能舞台を作り、野外能楽公演を主催、鹿島建設勤務を挟んで東大大学院で修士課程修了・博士課程後、田野倉建築事務所を設立、寺社の建築工事に実績を残しているということである。「明治以来、この国が振り捨て、取りこぼしてきた木の伝統を」「必死に拾い集め、組み立てようとしている」田野倉徹也氏は、「現代の建築界において異端児だ」ということになる。
 田野倉氏がこの道を志す一つの契機を与えたのが、運動会であったという。
……多感な時期を登山と勉強に費やし、大まかな将来の進路を決めるきっかけになったのは、運動会だった。全生徒を8色の組に分け、毎年5月に最上級生が全6学年を指揮して競う、開成学園名物の大運動会。競技とは別に、8×6メートルの巨大絵を1年がかりで描いてアーチとして掲げる伝統行事があり、田野倉が青組の生徒約20人を率いて青い海に鯨と帆船を描いたアーチが、最優秀に選ばれた。この経験が、楽しくて仕方がなかった。……(p.50 )
 現場監督になりたい。漠然とそう考えながら進学、建築学科へと進んだとのことである。
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20140207/1391751080(「鈴木博之氏を悼む:2014年2/7 」)
 さて、9/25(日)の阪神競馬場11R「神戸新聞杯」で4着、「菊花賞」でも注目のカフジプリンス号の異端調教師、矢作芳人氏もその著『開成調教師』(白夜書房・競馬王新書)で、「開成でなにが一番大事かというと、5月に行われる運動会なのである」とし、「能力の見きわめ、持ち場の割り振り、選手の起用法など。今考えてみると、開成の運動会で経験したことは、厩舎の経営と重なり合う部分が少なくない。そういう意味では、良い経験をさせてもらったものだと思う」と書いている。
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20110615/1308130711(「国際派・矢作芳人調教師:2011年6/15 」)
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20120528/1338185178(『祝・矢作厩舎「ダービー」制覇:2012年5/28 』)
 調子に乗ってもう一人、演劇界の異端児、故蜷川幸雄氏について、ブログでかつて記載していること。
◆この演出家のスペクタクルで祝祭的な演劇のルーツを、2年(1年?)先輩の秀才、テレビ演出家の鴨下信一氏は、〈開成時代〉にあるのではないかと、同窓会誌(2011年6月号)で述べている。
……ニナガワ芝居には必ず俳優が舞台に(時に客席)を(ねり歩く)箇所があって、これが歌舞伎の花道上の所作、あるいはダンマリのような土俗的な祝典性をよく表わしているように思う。しかしもしかすると、ひょっとしてあの運動会の仮装行列が彼の心の中で蘇ったのではないか。
 となれば、ニナガワ演劇のルーツは開成だ。たしかに勉強もさせられたが、開成での学生生活には〈祭り〉がいっぱいあった。……
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20111106/1320588690(「つっぱり老人蜷川幸雄:2011年11/6 」)

 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20160326/1458988146(「リーダーの条件と学校:2016年3/26 」)