平成の〈玉音放送〉

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原武史:展開がいよいよ1945年8月15日に似てきた。午後3時からの放送告知は正午に重大放送があることを告知した8月15日のラジオ放送に似ている。そして放送の後に首相がコメントを用意するのは、玉音放送の後に鈴木貫太郎首相の名で内閣告諭が発表されたのと似ている。全く信じがたい事態だ。(8/5)
原武史昭和天皇は、玉音放送の後の1945年11月、伊勢神宮に参拝し、御告文を奏して戦争終結をアマテラスに「奉告」している。今回も天皇伊勢神宮に参拝するかどうかに注目している。その際には、8月8日の放送ではっきりと言わなかったことを、アマテラスにははっきりと「奉告」するはずだ。(8/6)
原武史:ここで私が玉音放送との対比をことさらに強調するのは、戦後70年に当たる昨年、新たに玉音盤が発見され、音質がより鮮明になった玉音放送天皇自身が改めて聴いているからだ。(8/6)
原武史:国事行為のような誰でも勤められるルーティンワーク的な行為は皇太子にまるごと譲り、慰霊や祈りのような、本当に自分たちがやりたい行為に専念したいと表明しているようにもとれる。生前退位することで、憲法で規定された枠組みから自由になりたいという意志を表明しているようにもとれるわけだ。(8/7)
原武史:今日の天皇メッセージには、祭祀(祈り)と行幸啓を中核とする、昭和とは全く異なる平成の天皇制を28年かかって築き上げたという強い自負と、それを次代にスムーズに継承させたいという思いがうかがえた。だがそれは、代替わりによって平成流が変わってはならないという次代への注文でもある。(8/8)
原武史玉音放送の表現との類似性も気になった。常ニ爾臣民ト共ニ在リ→常に国民と共にある自覚、爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ→(私の気持ちが)国民の理解を得られることを、切に願っています、など。やはり現天皇は、昨年に原盤で聞いた昭和天皇の放送を、言い回しを含めて意識していたと感じた。(8/8)
原武史:「万世一系天皇家が〜世界に類がない」とする今日の東京新聞社説を読んで思い出したのは北一輝国体論及び純正社会主義』の次の一文。「笑ふべきは法律学者のみに非らず、倫理学者にても哲学者にても、其の頭蓋骨を横ざまに万世一系の一語に撃たれて悉く白痴となる」(原文ママ)。(8/9)

三浦瑠麗 Lully MIURA:そしてリベラルの側が本来天皇制と距離があったにもかかわらず、政治的なメッセージに利用しようとするならば、それは自らの首を絞めることです。昨日今日と散見されます。もし天皇制につき積極的な考えがないならば人権と高齢化社会について言えばよいので、問題提起はリベラル政治観にマイナスです。(8/8)