わがPARCO劇場

 PARCO劇場(西武劇場)にはけっこう足を運んでいる。この劇場は、渋谷パルコ・パート1・9Fにあり、1982年8月ポーランドの劇作家・演出家タデウシュ・カントル(Tadeusz Kantor)の『死の教室』を観た、パート3・8FのSPACE PART3とともに、思い出深い劇場(昔の演劇愛好家なら小屋というだろう)である。観劇の記録をメモしておきたい。

 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20150703/1435894162(「タデウシュ・カントル生誕100周年:2015年7/3」)

【PARCO西武劇場観劇記】



若き渡辺謙が出ていたのだ

(1981年2/21、唐十郎作、蜷川幸雄演出『下谷万年町物語』)
 http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/12_mannencho/interview.html(「唐十郎インタビュー」)



(1983年2・3月、唐十郎作、蜷川幸雄演出『黒いチューリップ』)




(1983年6月、寺山修司作、鈴木完一郎演出『毛皮のマリー』)




1984年4/14、清水邦夫作、蜷川幸雄演出『タンゴ・冬の終わりに』)この舞台は、個人的には、蜷川幸雄演出の最高の傑作であると評価している。演劇の、そして人生の核のようなものがある。亡き松本典子は、この舞台一つでも記憶されるべき女優であろう。


⦅1986年3月、来日公演、ヤンファーブル(Jan Fabre)作・演出『劇的狂気の力(THE POWER OF THEATRICAL MADNESS)』⦆  伝説の舞台。夜を徹して上演、パフォーマンスの繰り返しを重ねていく展開で、かの蜷川幸雄さんは、退屈のあまり30分で退出したといわれる。因みにこちらは2時間近くは観ていたのであった。しかし、2007年2月、蜷川幸雄氏が藝術監督を務めていた彩の国さいたま芸術劇場で、ヤン・ファーブルの『私は血(JE SUIS SANG)〜中世妖精物語〜』を招聘上演したのには驚いた。この観劇記は、かつてmixiに載せているので最後尾に再録しておく。


(1990年5・6月、モスクワ・ユーゴザーパド劇場来日公演、ヴァレリー・ベリャコーヴィッチ演出『ハムレット』)



(1991年4月、トビリシ国立グルジア劇場来日公演、メデェア・クチュヒゼ演出『心中天網島』)異色の近松劇であった。

【Jan Fabreの『わたしは血』観劇記2007年2/17】

◆昨晩は、埼玉県さいたま市彩の国さいたま芸術劇場にて、ベルギーの演出家・美術家ヤン・ファーブルの『わたしは血―中世妖精物語』を鑑賞した。寒さの戻ったなか、職場からいささか遠い劇場までは少し疲れ気味であったが、帰路はよい食事を終えた後のようなたしかな満足感を感じていた。
 ファーブルの舞台作品は、はじめてではない。かつて観た舞台、『劇的狂気の力(THE POWER OF THEATRICAL MADNESS)』は、蜷川幸雄氏が、あまりの退屈さでわずか30分で席を立ったという伝説があるほど、奇妙なものであった。ちなみに私は、2時間近く〈鑑賞〉してから、パルコ劇場の階段まで坐って鑑賞するいっぱいの客をかき分け退場したのであった。その蜷川幸雄氏が芸術監督を務めるさいたま芸術劇場にヤン・ファーブル演出の舞台作品が登場するとは面白いことだ。『劇的狂気の力(THE POWER OF THEATRICAL MADNESS)』も、役者の様式化された身体表現と音楽に独特の執着をもった作品であった。
 今回の『わたしは血』は、演出家本人によれば、「私は人間が、血だけでできた身体へと生まれ変わることを理想」とした「血に関するマニフェスト」をモチーフとして創られたそうだ(「dancedancedance」07/3号)。なるほど聖書や聖女の血に関することばが繰り返される。しかし舞台を支配しているのは、ことばよりも、イメージであり、動作であり、仕掛けである。本公演パンフレットで、宇野邦一氏が、「あらゆる事象を身体にひきもどして、世界を革命しようとしたアントナン・アルトーの提案から、明らかに影響をうけている」と述べている。昔愛読したアルトーの『演劇とその形而上学』(安堂信也訳・白水社)を書庫から見つけ出し、頁をめくると赤鉛筆の傍線多し。「演劇は、ペスト同様、この殺し合い、本質的な分解のうつし絵であり、数々の矛盾を明るみに出し、いろいろな力を解き放ち、種々の可能性に火をつける。そして、もし、その可能性や力が陰惨であったとしても、それはペストや演劇の罪ではなく、生の罪なのである」。バリ島の演劇を評して、「もっとも抽象的な主題の解明のためにさえ、語彙に頼る可能性をすべて抹殺してしまっているということである。その代わりに、この上演は空間の中で展開され、空間の外では意味を持てない動作の言語を発明している」とある。


 最後は男も女もほとんどが全裸で動き跳び回るのであるが、役者たちは最初は甲冑を身にまとって現われ、群舞を踊る。昆虫研究家ファーブルの末裔である、ヤン・ファーブルには、無数の玉虫などを使った立体造形の作品があるが、甲冑は昆虫(甲虫類だろう)の殻に覆われた〈身体〉に未来の人間の身体を重ねているようでもある。ヘルムート・ニュートンとのコラボレーションの写真および美術作品集『Das Glas im Kopf wird vom Glas』でも、すでに甲冑を使った舞台の写真が載っている。
〈聖なる血〉をたてまえにしながら実は〈残酷な血〉が流された西洋中世にこそ、血と外側の身体との理想の結合があったとでも主張したいのか、聖性を装った血の儀式が次々と演じられる。瞬間瞬間の動作は、動く造形芸術といえるほど美しく興奮させられ、溜め息も出る。猥雑さも随所に挿入されている。中心ソロダンサーのオリヴィエ・ドゥボアなどは、カーテンコールのときでさえ、中央で男根晒したままで挨拶していた。(眼の錯覚かそれほど大きくもなく、日本男性観客も安心して観ていられた。)
 S席7000円が高いので、A席5000円にした判断が今回はあたった。最前列A〜C列がA席扱いなので、フルヌードの美しい女性ダンサーがすぐ前で鑑賞できて愉悦の時間を過ごせた。わが隣のオッサンなどは、日本語字幕などほとんど見ずに、肢体も動きも美しいダンサーの裸に眼が釘付けになっていた。私がとくに感動したのは、ルクセンブルク生まれのトウニー・アンダソン。くっきりとした目鼻立ちの美貌としなやかな肢体、そして動きの息をのむ美しさ。頭髪と同じ黒みがかった下半身のヘアを惜しげもなく露にしてのパフォーマンスとダンス、もうこれを眼前で鑑賞できただけでも5000円に値した。 
 ヤン・ファーブルが述べるように、「わたしたちは相変わらず中世に生きている」のだろうか。それにしても夢のように残酷な 「fairy tale」を見せられた2月の夜であった。