追悼ピーター・シェーファー


 ピーター・シェーファー(Peter Shaffer)の代表作品中の2作、『アマデウス』と『エクウス』の舞台は観ている。『アマデウス』は、舞台作品の後に映画も鑑賞している。舞台も映画もどちらも印象深かった。メモ替わりに記録しておきたい。





 ジャイルス・ブロック(Giles Block)演出、松本幸四郎江守徹主演、1982(昭和57)年、東京池袋サンシャイン劇場にて。この舞台でのサリエリ役の松本幸四郎が、映画パンフレットで、映画と舞台との相違について語っている。
……(映画としての魅力はどんな点に?)
幸四郎:それは何といっても舞台空間と違う広さの違いでしょうね。当時のウィーンの街が大きな画面一杯に出てくる。舞台の幕開けのサリエリの「ウィーンはスキャンダルの街だ。人々がモーツァルトの死についての疑惑をささやき合ってる」というセリフそのままの情景が画面にどーんと出るわけですから。舞台劇はイコール、セリフ劇だと云われますが、まさにその通りですね。
……(セリフですべての情景を描き出すわけだから…音楽の使い方は舞台のときと同じようでしたね。)
幸四郎モーツァルトの作ったオペラを古いあの時代のオペラ形式で上演している。これは舞台では出来ませんもの…まあ舞台と映画はポジとネガみたいなものですね。意識してシェーファーさんは脚本を書き直されたのじゃないですか? それを強く感じました。作者としては大満足じゃないでしょうか。舞台で出せなかったことが映画で出来、舞台と両方とも大好評なのですから…。
 https://www.youtube.com/watch?v=DfY7gk3w0hs


 ミロス・フォアマン(Milos Forman)監督、ネビル・マリナー(Neville Marriner)指揮・音楽監督の映画。1985年日本公開。



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 劇団四季公演、浅利慶太演出、日下武史市村正親主演、1986年、東京青山劇場にて。俳優市村正親といえば、個人的にはこのときのアランそのひとである。いま円熟期にあるだろう俳優市村正親については、どこかの舞台で観ているのだろうが、あまり知らないのである。公演パンフレットで、この作品の初演(1975年)以来母親ドーラ役を演じてきた藤野節子の急逝を悼む文を、演劇評論家水落潔氏が書いている。祈りのような美しい文章である。
……どれほど美しく素質を持った女優も、永久に娘役を演じられるわけではない。肉体は衰え、やがて死ぬ。しかし、観客の胸の中に移植されたイメージは年齢をとらない。私の胸の中で「ひばり」のジャンヌは、今も若々しくとびはねている。そして、今は「エクウス」のアランがいる。やがてアランも市村君を離れて、もっと若い人が演じることになっていくのだろうが、今日観たアランは、俳優の実生活とは関係なく、いつまでも今の若々しさで観客の胸に生き続けていく。演劇の生命は俳優にはなく観客の心の中にあるのだ。……