「湿気のない地上のかたすみ」のうたは

 昨日3/21は、「世界詩歌記念日(World Poetry Day)」(UNESCOが1999年制定)だとのことである。ウィーンを本店とするカフェ・チェーンJulius Meinlでは、詩一編書くとコーヒー代に充てられるという企画があったとか。ただの短文ではない、詩をそうかんたんには書けるものでもあるまい。日本であれば、「詩歌」と理解したほうがよろしいか。
 https://www.meinlcoffee.com/poetry/campaigns/pay-with-a-poem-2016/(「Pay with a Poem 2016」)
 http://www.theguardian.com/books/2016/mar/18/poetry-coffee-pay-with-a-poem-cafes-world-poetry-day
 (「Pay with a poem: coffee for poetry deal spreads around the globe」)
『日本近代詩歌史』(東大出版会)の野山嘉正氏の、吉本隆明詩集『固有時との対話』(私家版)についての論評をあらためて読む。この長篇散文詩「固有時との対話」は、わが所有の『吉本隆明詩集』(思潮社鮎川信夫解説)に収録されてあり、読んだのはこの詩集でである。

……全体が独白である中にさらなる独白として〈明日わたしはうたふことができるか〉と自問する詩人は〝うた〟を対象化し得る地点に立っている。五つの部分から成るこの詩集の二番目の詩群に書きつけられたこの独白の独白は、精神の秘所で詩又は詩史全体への賭けの前で慄える詩人の姿勢である。「苦しくても己れの歌を唱へ/己れのほかに悲しきものはない 」(「(苦しくても己れの歌を唱え)」『詩稿 X』)との抒情詩人の嘆きは、やがて「むかしのうたは湿気の多い天上にあづけわたし/ぼくのうたは湿気のない地上のかたすみに/それでも細々生きつづけ妥協はおことはりしようと考へる」(「昔の歌」『残照篇』)の沈静へと姿を変えるが、さてその〝うた〟はどのような響きを持つのであろうか。ここに天上と地上の一般的通俗的イメージの顛倒は明らかであるから、この決意は世界全体への挑戦を前提にしている。そのとき〝うた〟は詩人の口から流れ出るであろうか、という問である。抒情的な嘆きとしては、既に敗残の予感をうたう「橇のやうにすべってくるもの/立ち訣れた心理のイメージのなかに/淡く透明な気泡のやうにつぎつぎに/もはや樹々や風立ちの空にむかはぬ/貧しい持続のなかにうつむいてゐる影」(「回帰の幻想」『詩稿 X』)の詩句があって、ここを脱却するには「巨きな群れ」への回帰を自ら閉ざす以外に方法がない。「地上のかたすみ」の〝うた〟にはその閉塞の危機が捉え返さねばならぬであろう。……⦅『國文学』1984年12月号(学燈社)pp.74~75⦆
 http://d.hatena.ne.jp/sekiya_itiro/20150201/1422807644(「吉本の詩が分かった!・疋田雅昭・野山嘉正を見直した」)
 野山嘉正氏が昔わが母校の先輩であり国語科教諭であったときに、文京区動坂の野山邸を2回ほど急襲気味に訪問したことが懐かしく思い出される。そのどちらかの折、有島武郎の研究者であった故西垣勤氏とお話をする機会も得られた。

日本近代文学の詩と散文―明治の視角から

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