城址と廃墟




 https://www6.nhk.or.jp/park/guest/guest.html?aid=20160216
  ⦅「NHKスタジオパークからこんにちは』2/16ゲスト山本彩(さやか・NMB48)」⦆
 2/16(火)のNHKスタジオパークからこんにちは』で、ゲスト出演したNMB48山本彩さんは、ソロで「365日の紙飛行機」を歌い、趣味のことを語っていた。城めぐりが好きだそうで、松本城に続いて2番目に好きな城として、犬山城をあげていた。なかなか渋い好みで感性に感心した。犬山城は一度だけ訪れているが、最も気に入った城。信州の松本城も思い出深く、いつかまた行ってみたいものである。
 2013年1月の『花粉期・歳旦譜』に載せたエッセイ「城址と廃墟」でも、この犬山城について少し触れている。再録したい。
◆城というものに特別に関心があるわけではないが、地方の都市を旅すると天守閣を遠望して、旅から戻ってもその地の象徴的建造物として印象が残る場合が多いのである。カフカ風ということでもなくすぐにたどり着けるように見えて、意外と城は遠くにある。歩かされた疲労感と、ちょっとしたエピソードとともに城のことが記憶に刻まれている。
「小倉の町には、男と逃げて暮らしている女房のところへ二度ほど行きました。けっきょくは離婚でした」と、たまたまSNSで知り合った高校の後輩にあたるひとが書き込んでいて、唐造り天守閣の小倉城は、旅とは無関係なそのことを思い起こさせる。
 愛知県犬山市犬山城は、尾張と美濃の国境に建てられた城で、酷暑の折小高い山の頂に荷物を抱えて登るのに難渋したことは忘れない。帰りに拾ったタクシーの窓から、「奥村」の名を見つけた。木曽川を挟んで隣は岐阜県、そちらにはたしか「奥村」姓は多いのだ。岐阜県の町で「奥村」の筆名で小説を書いていた、いまは亡きかつての同人のこととともに、この瀟洒な家老の城を懐かしむのである。
 天下の名古屋城を訪問したのは二度あって、一度目は、サッカークラブ名古屋グランパスの現監督ストイコビッチの選手引退記念試合観戦の折のことで、豊田スタジアムでの涙と身震いするような興奮は過去のことである。二度目は、愛知万博に出向いたときである。アフリカ館の仮面などの売り場にいた、しなやかな肢体で黒く光る肌の女性の放つ、香水の強い匂いとともに、この壮大な城の迫力を記憶している。この城と同じ平城の広島城(鯉城)は、まだ広島市民球場が地元ファンを熱狂させていたころ見物している。あまりの小ささに、原爆で本丸ごと吹っ飛ばされたとの近年は明確に否定されている伝説に、妙に納得させられたものである。
 宮崎県の飫肥城は、柳田国男の著作に促されて訪れたのであり、烏(からす)城=松本城、熊本城と並んで印象に残っている。
 復元された城の壮観さよりも、いわば「つわものどもの夢の跡」としての城址にこそロマンを求める人びとも少なくない。あじさいのころ千葉県印西市の松虫寺に行ったことがある。聖武天皇の皇女松虫姫が、薬師如来を頼って難病治療のためはるばるやってきて暮らし、病を癒して都に帰還してから没後分骨されて祀られていると伝えられるところだ。この寺のすぐ近くに「松虫陣屋」の城址があるのだと、後で知ることになった。熱心に調査に訪れる人がけっこういるらしい。
 城址への夢は、戦国武将への憧憬にもつながろうが、気鋭の日本史家與那覇潤氏によれば、「夢あふれる天下統一のビジョンなんて誰も持ってなくて、毎年が天保の大飢饉状態だったので、飢餓寸前の難民どうしが血で血を洗う略奪合戦をやっていたのが、真の戦国時代なのです。どうしてこんな時代にファンが多いのか、理解に苦しみますね」(『中国化する日本』文藝春秋)とのことである。  
 城址を探索する志向と、昨今日本の廃墟憧憬は重なるのであろうか。経済学者の野口悠紀雄氏は、「栄光の時代は過去にあった」との認識を背景に、単に古いだけのものではない「その建造の技術と時代的背景が失われたために再現不能という諦観」が、廃墟憧憬にとって重要であるとしている(「『風の谷のナウシカ』に関する主観的一考察」『「超」整理日誌』所収)。氏は同論考で、『ナウシカ』に漂う「ルネッサンス以降のヨーロッパでは、ごく普通の発想」であった廃墟憧憬が日本でも受け入れられようになってきたのではないかと述べている。
 ノーベル文学賞作家のエルフリーデ・イェリネクの戯曲作品『雲。家。』は、一人の語り手に、ヘルダーリンヘーゲルフィヒテなどのことばの断片を散りばめた台詞を語らせる奇妙な作品であるが、日本のある若き演出家は、この作品の舞台化で語り手である登場人物を複数の男女とし、言説における意味の廃墟性を現前化しようとしていた。安易に感性の共同性に凭れかかるまいという姿勢がみられた。たしかにこちらの廃墟のほうが衝撃的であった。
 谷崎潤一郎は『細雪』で昭和十二年の六甲の山津波を描いているが、東北を襲った大津波がもたらしただろう言葉の廃墟性をこれからどう作品化していくのかが、問われているのかもしれない。
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20100717/1279333154(お城の話:2010年7/17」)