加藤楸邨記念館・さいたま文学館

 2001(平成13)年閉館となった、山梨県小淵沢町加藤楸邨記念館へは昔訪れたことがある。夏の日、昆虫収集家として地元では知られたオーナー経営のペンションに滞在していて、そこから緑深い林の間を貫く道をだいぶ歩いたところに建っていた。書斎が復元されていたかと記憶する。なお旅からの帰路、特急電車の同じ車両に当時の職場の同僚が家族とともに乗り込んで来た。この人奇しくも『寒雷』同人の俳人であった。車内に彼持参の生ビール缶をいただいて、加藤楸邨記念館のことなど話題にしたのを思い出す。またすぐに夏がやって来るのである。
 現在は、大部分の加藤楸邨関係資料は、埼玉県桶川市さいたま文学館に移管しているとのこと。このさいたま文学館にもかつて行ったことがある。円形の建物で、館内を歩くのが楽しい。秩父が生んだ大谷藤子など、埼玉県ゆかりの文学者に関する資料が常置されている。この7月から改修工事に入り、年内は休館のようである。
 http://www.saitama-bungakukan.org/(「さいたま文学館」)
 さて、加藤楸邨の有名らしい一句。
夾竹桃しんかんたるに人にくむ
「病むひとの握力強し麦の秋」の嶋田麻紀さんの解説を載せよう。
……怒りや憎しみを俳句で表現した句は数少ない。「金蠅のごとくに生きて何をいふ」という句が楸邨にはあるが、内面から湧きあがる思いを直線的に発して、自己の内部をいつも清浄、即ち正常、にしておくということが、周囲の人に対する優しさ、包容力の母体になることもあろう。夾竹桃は深閑として咲くのに、ひとを憎む、ということは、人間のうちに秘(そ)む欺瞞、虚飾、怯懦(きょうだ)、などの嫌な面を憎むということである。……(嶋田麻紀編『秀句三五〇選1「花」』蝸牛社:p.42)

⦅写真は、東京台東区下町民家の夾竹桃。小川匡夫氏(全日写連)撮影。コンパクトデジカメ使用。⦆