四谷シモンの人形


 西宮市までは行けないので、ひさしぶりに篠山紀信写真・澁澤龍彦監修『四谷シモン人形愛』(美術出版社)をパラパラ捲ってみた。ベルメールの関節人形から影響を受けているだろう四谷シモンの人形をめぐって、澁澤龍彦との対談が載っていて、これが面白い。


澁澤:そうすると、シモンは自分の実現したい理想を、人形でつくっているわけだな。
シモン:そういうふうになりたいですね。
澁澤:シモンの神と人形との問題というのは、非常におもしろい問題だと思うよ。
シモン:ああ、そんなこと感じますか。
澁澤:だって、そうじゃない。シモンがどうして、そんなに人形にこだわるかというと、やっぱり神でしょう。ベルメールは、神とは全然関係ないね。ベルメールはむしろ、バタイユなんかがいつも神というのをバカにしていたみたいに。バタイユはいつも神が出てくるのね。
 シモンは神はあるんでしょう。
シモン:「でしょう」といわれちゃうと困るけれども、やっぱり、神というのはね。だから、神を人形にすることにはどこかで抵抗もあるんです。
澁澤:しかし、神があるから、シモンは人形をつくるのかもしらんね。
シモン:好きなんですよ、ぼくは。
澁澤:神が? 神が好きというのも、おもしろいね(笑)。
シモン:神イコール永遠とか、イコール無とか、そういうことがとっても好きでね。(同写真集pp.93~94)

 病床の澁澤龍彦の代役として、『裸婦の中の裸婦』(文藝春秋)12篇中の残り3篇の架空の対談形式エッセイを担当した巌谷國士氏は、四谷シモンの人形を置くとしたら、「森のなかだろうか。それとも水辺。菩提樹の木蔭かどこかに立たせたらいいかもしれない」とし、その人形は「いわば、甘美で孤独で普遍的な美少年としての女。そう考えてもいっこうにさしつかえないでしょうね」と述べている。(同書p.138)