バルザックの新聞記者論

 バルザック(1799〜1850)の『ジャーナリズム性悪説』(鹿島茂訳・ちくま文庫)の最初は、「政治ジャーナリスト」としての新聞記者について論じている。「五つの変種」を分類し、「押しの強い男か、世渡り上手な男かのどちらか」である社長兼編集長兼社主兼発行人の次の変種として、テノール(冒頭社説記者)を俎上に載せている。以下は、解説記者、ジャック親方(何でも屋)、国会記者である。「劇場に大当たりをもたらすテノール」に喩えられる冒頭社説記者とは、「必ず一般紙の一面トップを飾る長い記事」の冒頭社説を書く記者のことであり、この仕事に従事する者は、「自己の精神を歪めずにいることはむずかしいし、また凡庸な人間にならずにいるのも困難である」としている。痛快である。
……細部の違いを別にすれば、冒頭社説には二種類のタイプしかない。野党型と与党型である。もちろん第三のタイプもあることはある。しかし、のちほど見るように、この型の記事はまれにしか登場しない。野党型の冒頭社説の記者は、政府が何をしようと、必ずなにか難癖をつけ、非難し、叱責し、忠告しなければならない。一方、政府側の冒頭社説の記者は、政府がどんなことをしでかそうと、必ずそれを弁護することになっている。前者は常に変わらぬ否定であり、後者は常に変わらぬ肯定である。もっとも、同じ陣営でも、新聞によって文章の色調に若干の違いがみとめられる。というのも、各陣営の間には中間党というものが存在しているからである。ところで、どちらの陣営に属する場合でも、この職に就いて何年かするうちに記者たちは精神にたこができて、ある種の決まった物の見方をするようになり、一定数の紋切型だけで食いつなぐようになる。……(同書pp.33~34)