ミケランジェロ・アントニオーニ監督を偲ぶ

 ミケランジェロ・アントニオーニ監督が亡くなったのは、2007年7/30、本日で7年経っていることになる。亡くなって直後にHPに書いた追悼記事を、再録しておきたい。

◆イタリアのミケランジェロ・アンニオーニ監督が7月30日に亡くなったという。訃報がつづく。ネオリアリズモのロベルト・ロッセリーニ監督の下で映画手法を学びながら、フランスのアンチ・ロマンの文学者たちや、イタリアのチェーザレパヴェーゼと親交のあったこの監督の作品は、初期の『女ともだち=原作はパヴェーゼ』(銀座アートシアター)などを別にして、ネオリアリズモを継承していない。知られるように、アントニオーニの作品は、「不条理と孤独」をテーマとして空虚な心象風景を抒情を交えずに外の光景の描写で表現している。
『情事』『太陽はひとりぼっち』『赤い砂漠』は、すべてモニカ・ビッティが主演で、そのアンニュイな表情と所作はたまらなく魅力的であった。あたかも東映任侠映画高倉健のごとく、それぞれの作品が重層化していて、記憶のなかでモニカ・ビッティ演じる女は区別できない。しかしカラー作品ということもあってか、その物語世界が『赤い砂漠』のイメージでひとつになってしまっている。

 病に倒れてドイツのヴィム・ヴェンダースに脚本および仕上げを任せた、4話のオムニバス映画『愛のめぐりあい(BEYOND THE CLOUDS)』は好きである。とくにソフィー・マルソー主演の第2話は素敵である。アントニオーニの故郷であるフェラーラ(第1話の舞台)から訪れた南の港町ポルトフィーノで初老の映画監督(ジョン・マルコビッチ)は、父親を殺してしまったとみずから言う娘(ソフィー・マルソー)と出会い、ただ一度の情交を交わす。ソフィー・マルソーが崖の住まいから入り江につながる小径を歩いてくる描写は秀逸である。彼女が、枝の果実(花?)を背伸びしてひょっともぎ取り、香りを味わいながら歩いてくるところなどは、映画表現の粋といえよう。男が帰ったあとに窓辺から戻る場面で見せるソフィーのヘアヌードの美しい肢体は、付録(?)みたいなものである。この作品と『女優マルキーズ』(ヴェラ・ベルモン監督)のソフィー・マルソーが最も好きである。
『欲望=原題BLOW-UP(引伸し)』はファッション写真家の行動を描いた作品。観ているはずだが、あまり覚えていない。R1のDVDを持っていて、これは音楽担当のハービー・ハンコックのほうに惹かれる1枚だ。
[
 http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1293.html(「アントニオーニ監督『愛のめぐりあい』」)