文学としての小説においては、私小説ということばの文学史的に厳密な意味を保留して、作者にとっての「プライベートの地獄」を描こうが描くまいがなにがしかの〈私小説性〉もしくは告白性が、作品の核に存在するであろう。物語の主人公は、作者の分身として描かれ何かを託された人物なのであろうか。ドストエフスキーの小説をポリフォニー小説とするミハイル・バフチンは、その作品の主人公はモノローグ的小説とは違った構想で描かれていると論じている。ロシア文学ほか文学研究者にとっては自明のことなのであろうが、創作を志す立場では新鮮に読める。
……ドストエフスキーの構想のなかでは、主人公は十全な価値をもった言葉の担い手であり、作者の言葉の物言わぬ、声なき対象ではない。主人公についての作者の構想は、言葉についての構想である。したがって主人公についての作者の言葉も、言葉についての言葉である。それは、言葉としての主人公に向けられており、またそれゆえに言葉に対話的に向けられている。作者は、主人公についてではなく主人公とともに、小説の構成全体でもって語っている。ほかにありようがないのである。対話的、共参与的な定位のみが、他者の言葉を真摯に受け入れるのであり、他者の言葉にたいして意味的立場やもうひとつの視点として接しうるのである。内的な対話的定位があってはじめて、わたしの言葉は他者の言葉ときわめて緊密にむすばれるのであるが、同時にまた、それと融合はせず、その意義を呑みこみ自己のうちに溶解させたりはしない、すなわち、言葉としての他者の言葉の自立性を完全に保っている。張りつめた意味的連関のもとで距離を保つのは、けっして容易なことではない。けれども距離は作者の構想のなかにはいっている。というのも、それのみが主人公の描写の純粋な客観性を保証するからである。……⦅ミハイル・バフチン・桑野隆訳『ドストエフスキーの創作の問題』(平凡社ライブラリー)p.95⦆
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